復活の王国-12月3日英語説教のポイント(その2)

Sanctuary Church Sunday Service 12 03 2017 YouTube

復活の王国 Kingdom of Resurrection

2017年12月3日

翻訳:管理人

VIMEO52:00

黙示録20章、ここに汲み取るべき多くの問題があります。これから読んでいきますが、最初から通して全体を読むことはせずに、読みながらポイントで立ち止まりながら進めます。今日はそういう読み方をします。

黙示録20章、

1 またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。
2 彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、

いったんここで切りましょう。心理学者ジョルダン・ピーターソンは心理学的にもキリスト教の美徳というものを高く評価しています。西洋を造ったその神学と道徳もです。ピーターソンはキリスト教徒ではありません、心理学者であり大学教授です。その彼がキリスト教文明を高く評価しているのです。西洋文明の基盤だとまで言っています。特にそれがもたらす「自由」について。

彼はその研究のなかで、キリスト教自体は神話の一種か何かだといっていますが、西洋社会の成功の基をキリスト教の基本的教義にあるとしているのです。キリスト教の教義とその形而上学的宇宙観と神学です。

面白いと思うのは、ピーターソンは「堕落」を、心理学を採用して次のように解釈しているのです。エデンの園があって・・・・ピーターソン教授は極めて心理学的に創世記を分析するのです。これはキリスト教に限らず、たとえば仏教の瞑想が心理的にどのような効用を持つかという面から分析したり、総じて、様々な分野を対象に盛んに行われていることです。仏教の教えを心理学的に分析するのです。つまり、信仰を別にした仏教について、宗教を巨大なたとえ話と捉えて、心理学の対象とするのです。自己を心理分析する-そして、それ以上の目的は持たない追求しないというのです。宗教はむしろ心理学の手段に過ぎないのです。ピーターソンもおそらくそれに近いものでしょう。そうやって研究を続けてきたのですから。

科学ではもちろん創世記それ自体に踏み込みます。時間と空間のはじまりだとか、宇宙の始まりなどについて・・
しかし発見された化石以前にまでさかのぼることは難しい。まあ、こういう話はいつもしていることですね。

この「底知れぬ所」という言葉を見てください。2節です。「龍(悪魔)をつなぎおく」とあります。ピーターソン教授の心理学的エデンの園はなにかというと、ブッダの話とも比較しているのですが、これは神を信じない、イエスを信じない立場では仕方がありません。

しかしこればかりはわかりませんよ。アントニー・フルーのように死の直前になって「神の存在は否定できない。科学もアリストテレス流の神を認めざるを得ない」といいました。アントニー・フルーといえば、20世紀最大の無神論者と言える人物です。

ピーターソン教授はエデンの園、園(ガーデン)というのは、半分、文明であり、残り半分は未開地とみるのです。文明の地は、開拓しているので、略奪者がうろついたりしません。しかしそこに、野生の要素もある。多くの木々や野草など・・・しかしそこに文明のバランスがあり、自然とのバランスがある。よって、ヒトの堕落というのは、まずヘビが登場する。まあ、哀しいことに、ピーターソン教授も進化論という神話を信じているので、われわれはサルが進化したものに過ぎない。そこで教授がいうには、色を見分ける能力をヒトが獲得したとき、そのとき地の上に住んでいたと彼は言います(笑)。

エデンの園にはたくさん木があり、そこに沢山果物ある。色を識別する能力を身に着けたので、色のついた果物を取る-まあそんな話です。その半分分明、半分未開の園で神様がこういうのです。

「ある木の実だけは食べてはならない」

善悪知る木の実です。ところでピーターソン教授は、これを「自意識」ととらえています。この実を食べてはならない、なぜならそれをもつと、理想郷が破壊されるから。もう少しかみ砕いて話しましょう。

もともと猿だったと考えて下さい。オランウータンかチンパンジーのせいぜい進んだものです。そこに自我や自意識はありません、ただ本脳があるだけです。ところがある時点で自意識のようなものを獲得する、そしてあるとき目覚めて、なんと自分を意識し始める。自分はこういう行動をとって、本能を意識する。そこには存在論的に巨大な跳躍があるというのです。猿は自分がしていることを意識しません、ただ本能の赴くままに生きているのです。それが完全に覚醒した。そして将来を考える能力も身につけた。自意識の目覚めだけではなく、想像力を働かせるようになる。その想像力をもって将来を見通し、実際のイメージをもつ。先週も話しましたが。崖を歩いている時、崖から落ちて卵が砕けるように自分の体が粉々になることを想像できるようになる。想像力をもってそうするのです。実際に行ってみて結果をしるのではなく。想像力によって前もって結果を知るという話です。自分は死ぬという想像、それが結果的なものから自分を防いでいるといえます。現実に自分の身に起こることから。

ユングはこれを夢の探索にもとめました。「夢の情景」とよばれるものです。夢が神話の始まりで、夢から芸術、文化が生まれたと。そこでエデンの園の心理学的解説の続きですが、善悪知る木の実を食べる行為は、「自我意識」を獲得することだといいます。そして女性が最初にそれを獲得します。蛇と交流する女性。ここで蛇は、巨大な略奪者というよりは小型の略奪者です。それが薗にはいってきた。心理学的に言うと、自我に目覚めることで、現実に目覚め、邪悪な略奪者も見ることになる。人生のはかなさ、短命、死すべき運命に直面する。将来を想像するとそこに死があるというのです。

動物をご覧なさい。兄弟、父親、母親が死んでも、何が起きたかすらわからないのです。ところが自我意識に目覚めたとたんに将来を見通してそこに死があることを悟るのです。死から逃れられないことを。そこで「蛇」はヒトの死すべき運命を意味すると心理学者は言います。いつか究極の、知らざる世界、つまり死に遭遇することを知るのです。

そこで人類は暖かい暖炉の火の前から外に出ていき、荒野に出て、異なる感覚、様々な技術を習得し、生き延びる為の技術を身につける。知られざる世界で、その世界を克服する時大きな収穫を手にするというのです。

 

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