【動画】「神のみ言は、暗く険しい道を照らす光」キングスレポート・ハイライト

字幕:2nd Israel/翻訳:管理人   *家庭礼拝などでご利用ください。

あなたの御言葉は、わたしの道の光
わたしの歩みを照らす灯。 わたしは誓ったことを果たします。あなたの正しい裁きを守ります。 わたしは甚だしく卑しめられています。主よ、御言葉のとおり命を得させてください。(詩編119:105~107)

神様のみ言は私の道を照らす光、そして神が導かれた険しい蕩減摂理の道を照らす光。それだけ険しいかといえば、山岳の地形だというのです。聖書には、山あり谷あり・・とあります。そして山頂がある。人は気づきませんが、谷と頂きにブッシュクラフトの根本原理があります。谷と頂きはブッシュクラフトの本質です。ブッシュクラフト、木工作業、金属加工…これは話がそれますからやめておきましょう。

神様が私たちをこの道に送り、後に続くように命じられました、自分の十字架を担いで、そして狭き道を歩くのです。そこに灯が必要でしょう。昼とは限りません夜もあるからです。

たとえ死の影の谷を歩むとも・・そこは死に取り囲まれている、災いと艱難と苦難に、迫害に囲まれている、キリストの後を行こうとするなら、私たちはその道を歩むのです。しかし、灯が必要です。もちろん我々はその道を進みます、神様との関係性があるからです。しかし、また、祈りだけでは神様とはどのようなお方であるか忘れるかもしれません。だからみ言が必要なのです。み言が思い出させてくれます。われわれは忘れやすいのです。み言は神様が誰か教えてくれます。自分が誰に語り掛けているのかを。話しかけている相手を。関わっている方を。

思い起こしてください。私たちはあまりにも神様を忘れてしまいます。とくに感情に圧倒されるとき、苦難にぶち当たるときなど・・ちょうどヨブのように。ヨブは神を忘れ、神様を呪いこそしませんでしたが、神様に向かってつぶやきました。不平をいいました。全身を病に侵され、家族も死んだのです、彼は神様がどのようなお方か忘れてしまいました、自分が話している相手を。そこで神は私が誰であるか思い出しなさいといったのです。

私はすべてを造った。天に星を散りばめ、プレアデス星団も造った。すべての草木、植物も私が造った。我が子よ、私が誰か思い出しなさい・・・。そのことが重要なのです。
もしわれわれが神様の正しいおきてを守ることを誓い、かつこれを実行するなら・・・神様の正しいおきてを守り、敬えば、神様の正義の定めとともに立つならば、われわれが詩編作者のように悩み苦しむとき、「主よ、み言葉に従って、わたしを生かしてください(119:107)」

神のみ言はわれわれを生かすというのです。単なる道を照らす灯ではありません。
私たちを「生かす」とあるのです。「生かす」とは「若返らせる」ということです。「元気づける」「激励する」ということ。ともかく、神様は歴史的な道に導かれました。歴史的探究の道、歴史に課された務めともいうことができます。彼(キリスト)を追い求めるのです。
(われわれに)課された務めはキリストを追い求めることです。キリストこそ私たちが追い求めるべき道なのです。歴史的路程とは本源的追跡だというのです。究極的な追及、究極的な探求、そういうふうに神様、天宙の創造主を探し求める。

科学でも(創造に関わった)ある知的存在を認めざるを得ないでしょう。前回、反物質と物質が対消滅するとき外的な力(エネルギー)を放出するという話をしました。インテリジェントな存在、それをウイリアム・クレイグ(博士)が推し進める弁証学によると、神様、キリスト教のいう神だというのです。

その論によると、創造主は時間を超越しているがゆえに永遠、物質を超越しているがゆえに非物質的であり、この世から出たものではなく宇宙を超越し、物質を超越している。超物質的であり時間を超えた存在-だから永遠である。この全物質を創造するほどのとてつもないパワーを持っている。すべての物質を超えた力をもっている。すべての物質を創造する能力を持つ全能者である。

時間を超越した存在であるとともに、人格をもつ方であり非物質的で、時間を超越し計り知れないパワーの持ち主である。

そして数学やすべての構造を創り出す計り知れない無限の心を持っておられる。この宇宙を創り出すための条件が極めて精妙に調整されていたことが科学で明らかになっているのです。巨大な知性の持ち主であるというのです。それと同時に人格を持っておられる。また、無から時間空間を創り出された。

神の人格において重要な特徴の一つは、自由に選択できる能力をもっていることです-好きなことを選んで行う。意識の根源的な特徴のひとつは、感覚することだけでなく、「選ぶ」ことができるということです。しようとすることを選択するということ。

(神様は)物質がない所に物質をつくることを選択し、時間・空間の創造を選択し、時間がないところのある一点で時間を創造された。極めて深遠な話ですが、真実です。

弁証学では伝統的にこうした結論、神様の属性を中心にしてあらゆる面を論じています。これがキリスト教の伝統的な神観でした。そこにイエスが人であることを加え。また神の証明として、人であるイエスが死んで、生き返ったことを示す。この復活をめぐる話は、イエスがただの人間、ただの預言者でなく、神様の肉を持つ実体であることを示しているのです。

主よ、どうか、わが口の自由による(自由意志に基づく)さんびの供え物をうけて、あなたのおきてを教えてください。(詩編119:108 英語直訳)

この自由の讃美、自由意志(free will)に注目すべきでしょう。選択の自由があります。

105 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。

聖書を読まなければなりません。

明け方、あるいは夜半に、道を歩くとき明かりがどれほど必要ですか-とくに山道を進んでいるときには。これが霊的探究の道であるなら尚更に明かりと地図は欠かせません。(明かりと地図)それは神のみ言です。

 

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