キリスト教徒は神の心情が分からない、それは本当か-7月16日英語説教日本語訳「適正な秩序の王国」(その2)

Kingdom of Proper Order July 16 2017 Rev. Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

Kingdom of Proper Order 

適正な秩序の王国

原始教会では人々のためにイエス様が受けた苦難は、サタンに対する「支払い」だと考えられていたのです。サタンへの代償、「死」への代償と。聖句の3行目を見てください。アダムとエバは堕落によって文字通り悪魔に人間を売り渡した。基本的に売り渡したのです。
堕落して神様から離れた結果、未来への血統、未来の文明、人類の未来などすべてをサタンに捧げ、売り渡したというのです。そして現在、サタンが全人類にたいする所有権をもっています。

その結果、「正義」はわれわれをサタンの所有から解放させるためには神様はサタンに「身代金」を支払わなければならない。人間が未熟だから、またサタンに人類を売ったという信じられない犯罪を到底自ら支払う手立てがないのです。だから神様が歴史に現れて、介入されて、しかも肉体をもった姿で人間として現れるというのです。堕落が肉的だったので、神様も肉体をもって。地上の神の国という文明が、その実体が(サタンに)売り払われたのですから。だからこそ神様は、肉体をもって介入されるのです。なぜなら、王国は現実に建設されるべきだからです。だからこの見方によると、支払いを受けたのはサタン、であり「(霊的)死」そのものが身代金を受け取った。この説と似ているものに「受取人は神だ」というものもあります。これによって堕落の結果、人類の魂に対する負債が解消された、満たされたというのです。ある意味、懲罰がなされたとみるのです。壊されたものが修復された。ここで「満たされた」という言葉の意味はそういうことです。罪の結果として人類の魂がかかえた負債は解消した。面白い考え方です。こちらを見てください。

神様がキリストを代賞とサタンが受け取るように策を仕掛けられた。神様が悪魔に一杯食わせて、神の子であるイエス様を、人類を悪魔に売るという罪の身代金として受け入れさせた。しかしサタンはキリストが「死」に支配される方ではないということを悟らなかった。墓から蘇られるお方です。死んだからと言って終わる方ではないのです。しかしひとたびサタンが「身代金」としてキリストの死を受け取ったなら、「正義」はなるのです、たとえサタンが策に引っ掛かっただけだとしても!たとえ霊界にいたとしてもイエス様が摂理を前進させ、「正義」は成就され神様は人類をサタンから解放することができた。ここでいう救いはあくまでも霊的救いです。まさにこの点を、私たちが成約時代の観点からキリスト教徒を一段下に見てきた点でした、「あなた方はまだ完全に救いを受けてはいない」こう言って。だから私たちはこういう思い込みを持っていました。
「キリスト教徒は救われていないが、われわれは救われた」。
しかし原理の観点から見て必ずしもそれは正しくありません。キリスト教徒は霊的救いを受けています。救われているのです。異教徒のように霊肉共に救いを受けない者たちとは異なります。キリスト教とは霊的救いを受けているのです。異教の儒教や仏教の背景をもった、多くの(韓国の)長老からある文化が生じました。だから自然に理解できないことだったのです。しかし現実に、(統一教会は)キリスト教やキリスト教徒をさげすむような文化をもちました。しかし彼らはわれわれの信者仲間であるだけでなく、救いを受けた者達なのです。しかも同じ唯一真の神様に仕えています。

とても大事なことです。「キリスト教徒は、神様の苦難を分かっていない」と(教会内で)話すのをしょっちゅう耳にしました。しかしキリスト教徒が、キリストの受難についてのキリスト教神学を語るときの心情は、すべて神の苦難を思い語っているではないですか。

イエス様が十字架に向かい、十字架を背負い、十字架に釘付けにされる。そして神様に「どうして私を見捨てられるのですか」と叫ばれる。これらすべては神様の受難ではないですか。キリストの受難(The Passion)とは文字通り「苦難」を意味します。

ここでみる原始教会の見方の要点はこの「支払い」はサタンへの支払いだということです。サタンが人類に対する所有権を握っているのだから、当然「支払い」を受けるべきだと。そしてこれこそ、世界文明を築き、世界を導くキリスト教の全活動の根底に流れるものです。こうして新しい神中心の愛と倫理が生まれたのです、そしてそれがいま、女性や子供を守っているのです。これが人類を抑圧から解放し、霊界のサタンから解放する願いの基礎だというのです。地上ではサタンに支配された人間が抑圧をおこなっています。サタンから人類を解放するすべての願いは、この「サタンから人類を解放するために神は何を為されるべきか」という初期の思索に結びついているのです。この思想は数百年の時間の経過とともに幾度となく再検討されました。興味深いことに、11世紀から13世紀まで、トマス・アクィナスなどの人びとがさらに深い思索を重ねこれを検討しました。しかしいつも結論はそれまでのカトリック教会のものと同じでした。皆さんも見たことがあるでしょう。トマス・アクィナスなど修道士の絵を。実際、トマス・アクィナスはドミニコ会の修道士でした。この贖罪充足説(The satisfaction theory of atonement )についての彼らの検討は非常に深いものでした。しかし結論は結局、社会学的結論、つまり「それゆえに中央集権的カトリック教会が核心的に重要であり、それ(カトリック)こそ地上天国だ」というものでした。その時点から天使長的であったと考えられるのです。だから権力ピラミッドの頂点に君臨するカトリック教会はトマス・アクィナスをとても持ち上げるのです。アクィナスに聖人の位を与えドミニコ会修道士を一番に持ってくるのです、つまり彼らの神学をカトリックは愛しているのです。トマス・アクィナスが神の受難に関して、キリストの行動に関して真摯に思索していたとしてもカトリック教会にとっては関係ないのです。

またアクィナスの前に、カンタベリーのアンセルムス(生年1033年)がいます。キリスト教弁証学を学ぶとわかりますが、神の存在に関して存在論的議論を加えた人です。これはしばしば無神論者との討論で用いられます。彼はカンタベリーの司教でもありました。またこの贖罪充足説(The satisfaction theory of atonement )は彼が初めて唱えました。

ここでは「満たされる(gratification)」ではなく、損害賠償を「満たす(satisfaction)」ことが問題とされます。壊されたものは弁償し、奪われたものには支払うという考え方です。神様は正義の神なので、正義に対する侮辱は償わなければならないというものです。神様は公平で平等なお方なので神様の正義を侵すとき、公正に対する侵害、正義に対する侵害、平等に対する侵害、等々は償う必要がある。これは不正義に対するバランスをとるという法的な考え方にも関連しています。これによると罪、特にアダム、エバの罪は、主権を売り渡したということ、ここで主権というものは非常に大切なものであることを強調しておきますが、これは同時に、法的な考え方、つまり犯罪があったので正義の回復のためそれは償われなければならない。だからここにいる人もインターネットを見ている人も、サイコパスでない限り、「その悪(ワル)は許してやれ」などと言うことはできないのです。そのような国には正義が存在しません。それゆえ、正義は犯罪に対して償いを要求するというのです。法的バランスの問題です。ここでカンタベリーのアンセルムスについて見ることにしましょう。彼の代償理論です。

アンセルムスによれば、われわれは神の「名誉」に対して負債を追っているといいます。彼が、犯罪には償いが必要だということを理解していることを示しています。アンセルムスの観点によると私たちは「名誉ある神に恥辱をもたらした」というのです。神様は真に名誉あるお方です。誉(ほまれ)と尊敬と称賛に値するお方だというのです。われわれの罪、犯罪によって、それは罰せられなければならないと同時に、さらに一歩進んで、その行為によって神様に不名誉をもたらしたとするのです。つまり私たちは犯罪により償わなければならないのはもちろん、その上に、称賛されるべきお方に対して不名誉をもたらしたという犯罪を行った事実があるというのです。分かりますか。

だからこれは単なる、支払い、未支払いの問題、犯罪と刑罰の問題ではないのです。その上位に神様の心情を観なければならないというのです。神様は恥辱を与えられ、深く貶められたのです。深い深い傷を負ったのです。これは人間と天使が神様に対して負った負債であり、この負債を償却しないものは罪とを負い、これを償却する者は罪を免れる。これは義、あるいはみ旨の正しさであり、これが人の心を正しくさせ、正義をもたらす。これが、私たちが神に負う、神の名誉に対する完全で唯一の負債である。そして神はそれをわれらに求める。この負債を神に返すことができなかったので、本来の正義を回復するには不十分であり、神の名誉に対する罪(その負債)も満たされなければなりません。

だから自分の娘を殺した人間が「自分は20年の刑期を終えた」というだけでは、あるいはその代償を支払うだけでは済まないのです。その関係において再び調和を取り戻すためには、代償だけでは十分ではありません。悔い改めて面と向かって「申し訳ありません」と言って許しを求めることができなければならないのです。例えば誰かが自分の家族に対して犯罪を行なうとき、仮に家の一部を壊されたとしましょう。あなたは訴え、その弁償として200万円受け取ったとしましょう。しかしその過程で、心理的ストレスなど他の損害を受けています。例えばそのせいで離婚したり・・・。その犯罪によって派生した問題を抱えたりすることがある。その犯罪だけに限定されるものではありません。      

つづく

翻訳:管理人
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キリスト教徒は神の心情が分からない、それは本当か-7月16日英語説教日本語訳「適正な秩序の王国」(その2)」への5件のフィードバック

  1. 当たり前の様に恩恵をいただいていますが、その様なストレスを抱えておられたんですね。😢
    すみません。いっときも早く誤解が晴れます様に。

    いつもありがとうございます 🙏

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    • 先駆者さん、こちらこそいつも有難うございます。
      Collateral Damage(目的のための犠牲)が必然的に発生するので、あまりこういうことはやりたくないのですが、放置していいものやらどうやら・・・と思案中です。悪意ある噂の伝播範囲が大きければそう放置もできないなと考えています。

      いいね: 1人

  2. キン斗雲 の発言:

    翻訳物は二次的著作物です。翻訳者は、その二次的著作物に対して、出願審査などの手続きを経ることなく、著作権を有します。この著作権については、天一国憲法にもあります。

    【天一国憲法第三条第八節】
    7. 著作権および発明者に対し、一定期間その著作および発明に関する独占的権利を保障することにより、学術および有益な技芸の進歩を促進する権限。

    ですから、翻訳者が翻訳物にも著作権が有ります(発生します)と言っても著作権法の立場から正当な権限です。

    しかし、翻訳物に著作権がある(発生する)ということと、翻訳者が翻訳物の著作権を主張(占有しようと)するというアクションは別です。

    管理人さんは、そのような占有のアクションをされたことはありません。

    私どもは、礼拝において管理人さんの翻訳物をまるまる訓読資料として何度も利用させていただいています。それは管理人さんも知るところですが、管理人さんから著作権を主張(占有)されたことは一度もありません。(なお、私どもは、管理人さんの翻訳の奉仕に感謝の想いを常に持って、訓読資料の最後には翻訳者表記とサイト名表記をしております。)

    まして、管理人さんが、原著作物であるみ言葉の著作権を主張(占有しようと)しているのなどいう噂は、事実無根であり、荒唐無稽な想像に基づく誤解です。

    このような噂は、その気がなくとも、サンクチュアリのメンバーを分断する行為になりかねません。どなたが始めた噂か知りませんが、このような噂を聞いたら、それは事実無根であることを伝えてあげるべきでしょう。

    いいね

    • キン斗雲さん、法的解説を含むフォローのコメントありがとうございます。
      結局、ブログでは問題にしないことに決めて、それについての文章は削除しました。

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