【日本語字幕映像追加】7月2日礼拝での国進様のスピーチ

*飯田さん(2nd Israel)が早速字幕化してくださいました。この場を借りて感謝いたします。

7月2日はまだコロラドのロッキー山脈から二代王が戻っておられなかったので先週に続いてエルダー氏が説教を担当した礼拝でした。その中で約12分間、国進ニムがスピーチをされました。

以下はその内容の日本語訳(原文英語)です。


皆さん、こんにちは。ご機嫌いかがですか。
1日2日前にコロラドから、戻ってきました。
昔ほどは、もう若くないですね。もう少しで50才ですよ。
今年で47才、来年48才です。一部の皆さんと比べるとまだ若いですよ。
でも、かつての若さはなくなりました。骨も老化して関節も脆くなった気がします。

2代王は平和軍、平和警察のために様々な挑戦をしています。まあ、柔術や山を登るトレーニングなど見ていると、1年半ほど前から、自分ももっと頑張って今より鍛えなければと思わされてきました。私も若い時は柔術を習っていたんです。14、15年前でしょうか。王様がトレーニングするのを見て、半年くらい前からトレーニングを始めました。
でも年には勝てませんね。
年をとれば、体は老化し若い時のようには動きませんし、耐久力も落ちます。でもかつての力は、結構早く戻ってきますよ。精神は変わりません。潜在意識は働くのです。
昨日一昨日、王様のように長距離の山歩きに挑戦するとき、コロラドでの高山ハイキング・・ロッキー山脈は標高1万から1万2千フィートです。体が酸欠状態になります。
われわれもフェールラーベン主催のロッキー山脈トレッキング、35マイル行程に参加する王様一行のために応援と見送りをしようと上に登ったのですが、標高1万フィートの地点で2、3日過ごしたのですが、かなりの犠牲を強いられました。クアドランナー(スズキの小型4輪、おもに狩猟でつかう)を持参したのです。それに乗って、高山を動き回って景色を見ましたが、とても素晴らしい景色でした。

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でもクアドランナーを乗り回しているだけでも、キャンプに帰ると、高山病の症状がでるのです。それで少し低い所に移動しました。そこでいつも通り気分良くなりました。頭はふらふらするし、頭痛もするし、胸がむかむかする。立っていることもできなくなるほどです。その高地に体を慣らさなくてはなりません。しかし、聞くところによると、1週間もいれば・・数カ月滞在すれば体は慣れるそうです。

いつも低地で暮らしているわれわれには、特に年をとれば、まあ慣れるまで時間がかかります。でもそこにいった私の子供たちの様子を見ていると、何ともないようです。とても早く順応します。だから年齢や、能力によって高地での適応性にも差が出るようです。

王様がまだ若いということは素晴らしいことです。高地にも適応し、トレッキングに出発しました。われわれ年を取った者の代わりに。われわれなら、トレッキングに出発するまで体を慣らすのに2、3週間はかかります。しかしそういうことをするのもいいのです。年をとっても挑戦を続ける。それこそ主権者ではありませんか。主権をもつ男性は平和軍の兵士、平和警察の警官です。
その挑戦こそ、2代王だけでなく、真のお父様と神様、そしてイエス様が私たちに下さった挑戦です。イエスキリストこそ初代の平和軍、平和警察です。
カトリック教会や他の世界中の教会は、イエスキリストの歴史を書き換えています。イエスキリストは武器製造者だということを知っていますか。皆さんは知っているでしょう。

聖書を読んでごらんなさい。イエス様は神殿から両替商を追い払ったではないですか。荒野で数時間かけてそのためのムチをつくられたのですよ。しかも、とげの付いたやつです。それをいわゆる、武器製造と呼びます。聖書に載っていることです。王様の「王国シリーズ」の説教の中には重大なメッセージが含まれています。トレックに出発される前の説教でmurder(人を殺す)とkill(殺す)の違いを語っていました。ここには大きな違いがあります。イエスキリストが死刑支持者だったということを多くの人は知りません。知っていましたか。

これは本当です。イエス様はある罪に対して刑罰を定めました。マタイ18章6節です。

18:06「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。」

マタイ18章です。イエスキリストは、イエスを信じる小さな者をつまずかせる者は、処刑したほうがいいというのです。このことを知っていましたか。

そういうメッセージを抜き出さなければならないのです。キリストの真の姿はどのようなものなのか。初臨のキリストと、再臨のキリストはほとんど同じ方と言っていいくらいです。キリストの周りの天使長たちがキリストの死後、やろうとしたことは、初臨の時と、再臨の時でこれまたそっくりです。彼らは神の主権を唱え、神の権威を唱える極めて男性的なキリストの姿を何やら、はかない人のように描いているのです。異端の連合もまさに同じことをしているのです。真のお父様を女性化しようとしています。だから神の血統、神の王権を否定するのです。2代王も否定しています。文鮮明師とイエス様、真の天宙の主につき従う私たちのやるべき事は、私たちが想像し希望するキリストの姿ではなく真のキリストの姿に従うことです。

これは世界のすべての人にとっての挑戦です。正義であることの意味と本性。正義の本質とは何ですか。罪の本質は何ですか。キリストの義に立つことを願う者として必要な基本的理解です。正義を理解することは実は簡単なことです。それは神様の御旨に生きること、御心の内にいることです。それは自分の意志ではなく主の意志です。主の御旨の中にいるとき私たちは正しく、個人的な意思の中で生きようともがくときそれが罪なのです。これは私たちが神の御心に生きるとき、自分を罪から分離するときに理解しなければならない主要な点です。このように正義と罪を理解するなら、無神論者、異端者、左翼やフェミニストが聖書の中で問題視していることは、いささかも問題ではないというのです。終始一貫しているのです。

旧約聖書では、神様がイスラエルに、堕落した血統、ネフィリムの血統をもつ民の子孫を皆殺しにせよと言われたのも、とくべつな理由があるのです。そしてそれを実行することが神の民にとっての正義なのです。それは罪ではありません。この区別は重要なことです。われわれは道徳や人権を人間主義的観点から見るべきではありません。

道徳、人権そして正義は神様の意志と一致していなければならないのです。人間主義と、神の御旨の正義との違いを理解するなら聖書の教えを一点の曇りなく、説明することができるのです。100%一貫していることが分かります。聖書歴史を通して神様は、同一のお方です。終始一貫した神様であり、嘘を言わない神様です。人間を本当に愛しておられる神様です。この言葉で、スピーチを終わりにしたいと思います。神様の御旨の中にある正義を探し求めて下さい。そうすることで、私たちのお父様に大きな喜びをお返しすることになるでしょう。

翻訳:管理人・字幕:2nd Israel
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【日本語字幕映像追加】7月2日礼拝での国進様のスピーチ」への1件のフィードバック

  1. の発言:

    真の知恵を知った時、迷いや恐れから解放され確信を得ますね。
    いつもみ言が魂に響き項垂れます。

    王様と呼べる方が、私たちにいて下さるということがどれだけ幸せな事であるかをいつも噛みしめています。
    アージュ

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