み言を訓読していれば、王国も王権も必要ないのか?-5月26日亨進様ヨナ様質疑応答から

2017年5月26日の王と王妃の質疑応答の中で、ある質問者が以下の主旨の質問をしました。

「 私がサンクチュアリに来るきっかけを、次男が作ってくれたが、今彼は『お父様のみ言の中に六世代を過ぎれば完成した人間になるというものがあり、お父様のみ言を信じていればいい』と主張している。このように韓お母様の間違いを理解していながら、よりどころなく放浪する人達に向けて一言お願いします」

この質問に対する亨進様、ヨナ様の回答です。

King and Queen’s Q A   May 26  2017   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

知らなければならないことは、摂理には中心人物がいるということです。
そこを通して摂理は進みます。一般に人は自分が「中心人物」だと思い込んでいます、そうでないにもかかわらず。分かりますか。
それは偶像崇拝と同じです。自分が中心だというのです。自分さえ完成すれば、神様の王権も王国も、メシアも神様も必要ないという。

そうすると神様の祝福から遠ざかるのです。それも自分の選択です。息子さんがどういう意味で言ったのか私は詳しくは知りませんから、ここで問題をはっきりさせました。

韓オモニは、摂理において他の女性と異なっています。摂理において中心的役割を担っていたのです。原理もそう教えています。中心人物がもし失敗すると、世界に壊滅的な結果をもたらします。なぜなら中心的位置に選ばれているからです。

だからただ「あなたも完成できる」という聖句に固執して、自分も中心人物だなどと考えるなら…実際そう考えている人もいるのです。それは愚かな考えであり、天使長的です。中心摂理から離れるからです。そこではあなたが中心ではありません。

中心摂理は、真のお父様と、その王統を通してもたらされる実体の王国です。ここが理解できないところがキリスト教世界観が分からない人々の問題です。多くの日本人食口、キリスト教の背景をもたないアジアの食口の陥るところです。キリストの中心性を重んじなければなりません。キリストなしでは、価値なき者にすぎません。汚れたボロ切れであり、神様の前のただの罪人に過ぎません。たとえ完璧に善行を行ったとしても、仏教の瞑想、神道の祈りを続けても、ただ「人間的完璧に近い」というだけです。マザーテレサの10倍、善行を積んだとしても、神様の前では汚れた罪深い存在にすぎないのです。自己崇拝するとき、自己中心の思いに満ち、嘘をつき、神の栄光を奪っているからです。父の栄光を自分のものにしているのです。大きな罪人です。パリサイ人の問題は、他の宗教者もそうですが、自分が何か相応しいことをしたから救いを得る、と思っているところです。それがキリスト教と、他の多くの宗教との違いです。とてつもなく大きな違いです。すべての宗教は、善い行いをすれば、良い見返りがあると教えます。

善行を行なえば、救いも得るし天国にも行ける、解脱者になると。すべては自分の行いに基づいているのです。すべて自分次第です。すべての宗教がこう教えています。一体なぜお父様が王権を打ち立てたのか分からなければ、その人はまだ堕落した宗教圏内にいるのです。キリストの中心性を理解していないからです。キリスト教的世界観をもっていません。だから王権がなぜそこまで重要なのかが分からないのです。神の摂理、神様の世代を超えてつづく王国と王権とから離れて個人の完成はありません。それは神様ご自身が立てられたものではないですか。中心になりたいというのは人間の傲慢です。私たちは中心を選ぶことはできないのです。中心は神様が選ぶのです。私が中心になることを選択したのではありません。神様が私を中心に選んだのです。私が望んだことではありません。ただそれを果たさなければばらないからここにいるのです。私の選択ではないのです。ここが善行に基づく他の異教との違いです。そこでは自分の行いが自分を清めるといいます。キリスト教は現実を突きつけます。マザーテレサもキリストを抜いては罪人に過ぎないのです。すべての善行を行い、何百の孤児院を建てたとしても、まだ利己的で、政治的に動き、神様の栄光を自分の物とし、生命と祝福を与えて下さった真の栄光に相応しいお方にそれを返さない限り…神様とは関係ないところでの自己完成など何の価値もないのです。

パリサイ人も自分たちは完全だと思っていたのです。神のみ言葉をもち、モーセのみ言葉をもっていると自負していました。そして生きた神殿、生きたキリスト、神様の実体であるイエスに従わなかったことが問題だったのです。屈服しなかった。

確かにお父様はわれわれにみ言葉を残されました。しかしその実体も残されたのです。それが私です。そして息子、信俊を残されました、お父様が選んだのです。お父様のみ言葉を訓読したから、お父様の権威に戻れたのではないのです。家庭詐欺連合もみ言葉を訓読しているのです。皆さんがいまお父様の権限のもとにいるのは、お父様御自身が立てられた摂理のラインにつながっているからです。私が立てたラインではありません、お父様が立てられたのです。分かりますね。だから王権が非常に重要なのです。それは皆さんが世代を超えてお父様に仕える道なのです。万王の王の直系である天一国の王を通して。皆さんの権利は天一国憲法から来るのであって、6年かけて自分を完成させ、ブッダのように、あなたが成ったからではないのです。

キリストが全人類のためにすべての苦難を受け、血を流し、一万の十字架を超えられて、皆さんに恩恵として与えられたから、そして王国と王権をたてられたからなのです。だからあなたの権利が守られるのです。あなた方が何かを成したからではないのです。それにふさわしい善行を行ったわけではありません。皆さんが偉大だからではなく、キリストが偉大だからです。これが違いです。

仏教や神道など、他のすべての宗教との違い・・・皆さん様々な文化圏から来ているので、宗教や信仰の理解がそれぞれの文明に基礎を置いています。その背景からじぶんを切り離さなければなりません。それは神様の文明ではないからです。お父様のみ言葉を読むからと言って天国に行けるのではありません。悪魔もお父様のみ言葉を読むのです。家庭詐欺連合は、3冊の異端の経典をもっていますが、それがお父様のみ言葉だと主張して、そのみ言葉を読んでいます。しかしお父様の王国にも、お父様の館にも入ることは許されません。

お父様のみ言葉を読むことが必ずしも、お父様の家に入るとは限らないのです。大きな違いです。
お父様はみ言葉だけを遺(のこ)されたのではありません。肉的王統も遺されたのです。私は二代目の王ですが、あとに何代、何十代と続くことでしょう。だから未来のすべての世代が、万王の王の直系ラインに実体的につながることができるのです。すべての王国の中心、全世界、全天宙、神様の御旨と創造目的の中心です。それがキリストです。キリスト教では、イエス様を抜いては、人間に何の価値もないのです。私もそうです。仏教や神道など他の異教では、あなたは何にでもなることができます。神様を超えることもできるというのです。神にもなり、完全になるというのです。非キリスト教の文化圏のアジアの兄弟姉妹にとって、「完成」という言葉は本質的に仏教的、神道的に響くのかもしれません。そこを意識しなければなりません。聖書的ではないのです。だから「六世代で、清くなり完成する」ということが重要なのではありません。むしろ重要なものは、神の国と血統、摂理の流れの中心、摂理の動きと共に、血統を通して世代を超えて動くこと、これです。

質問の詳しいニュアンスまでわかりませんが、とにかく、これについて、全く的外れな主張をする人たちもいるので、その人たちに向けて、こういう答え方をしました。これで答えになりましたか? どうですか。

(ヨナニム)
私からも、短くお答えします。王様の発言に関連することです。みなそれぞれ、お父様のみ言葉を訓読していると言っています。郭グループも訓読しています。様々な分派も、お父様のみ言葉を訓読して、どうだこうだと言っています。しかし本当にお父様をメシアとして信じ、み言葉を大切に思うのなら、その人にとってお父様の代身者こそもっとも貴重なものではないでしょうか。「(亨進ニムは)代身者だ」というのもお父様のみ言葉です。しかもそれはほとんど遺言に近いものではありませんか。真のお父様が本当にメシアであり、そのみ言葉を重要と思うのなら、このみ言葉こそ最も重要なみ言葉ではないでしょうか。だから六世代み言葉を信じていれば完成するなどと納得するのは矛盾しています。亨進二代王がいつも言われるように、王の位置は自分で決めたものではなく与えられたものです。これは私たちの行いに由来するものではないのです。純粋に神様の賜物であり、ここで、お父様に選ばれた、などとと言って誇っているのではないのです。「お父様はあなたを選んでいません、残念でした」などと言いたいのではないのです。私たちはただお父様のみ言葉を皆さんと共に地上で尊重したいのです。だからここにいるのです。

(二代王)
5%の責任分担があります。お父様はその責任を私にくださいました。私はその5%を果たさなければなりません。もちろん私が失敗しても摂理は継続します。王妃も同様に三大王が王位を継承するとき彼女の責任を果たさなければなりません。責任分担があり、自由意志があるのです。しかし、あなたの質問を正しく理解しているならば…郭グループも三代王権は必要ないと言っています。韓オモニも王権は必要ないと言います。ただみ言葉だけで十分だというのです。そういいながら、自分の都合のいいようにみ言葉を選びだしたり、切り捨てたりしているのです。自分達に好ましいみ言葉を選んでいるのです。すなわち郭グループであれ異端者であれ違いはないのです。どちらもお父様の家に入ることはできません。この(質問内容)ようなことを言う者も同じです。

「モーセの律法があるから、われわれにはイエスは必要ない」とかつてユダヤ人が主張したことと同じです。同じことをしているのです。決して「必要ない」ことなどないのです。イエス様が絶対的に必要であることはキリスト教徒なら皆知っています。イエス様を抜きにして神様の下に帰ることなどできないのです。イエス様が必要です。イエス様は王国を創建し、王権を立てられました。地上の実体的な王国をみ言葉と共に。み言葉と王権は切り離すことができません。人が選べることではありません。お父様はそうされませんでした。自分の好きにはできないのです。もしそうするのなら、異端を選択したということです。すべてあなたの選択次第です。

翻訳:管理人
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「異端の家庭連合、正統のサンクチュアリ教会」

 

明日6月11日の首都圏礼拝は、柳在坤(유 재 곤)ユ・チェゴン鮮文大学名誉教授が「異端の家庭連合、正統のサンクチュアリ教会」という題で講話をされます。まだ席に若干の余裕があります。興味ある方々は是非、御参席ください。ちなみにユ教授は、真のお父様の自叙伝「平和を愛する世界人として」の日本語版作成委員も務められました。

サンクチュアリ教会 日本サンクチュアリ協会

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