6月4日「名誉の王国」【英語説教日本語訳】(その2)

Kingdom Honor   June 4  2017   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

名誉の王国 Kingdom Honor

 

プロテスタントの宗派で、あるスイス系フランス人の改革者がいます。フランソワ・タレンタイン(Francois Turrentine)という名前です。彼は非常に興味深い議論をしていますのでご紹介したいと思います。キリストを深く理解するということです。

真のクリスチャンのキリストに対する愛がどれだけ豊かなものか十分お分かりでしょう。彼らはキリストがどれだけかけがえの無い、尊い存在か分かっています。キリストなしには私たちには何もありません。それが、私たちがすばらしい神の国を持つか、それとも地獄に変わるかの絶対的な核心です。それはキリストを中心としなければなりません。

これは因果応報と神様の償い、息子であるイエスによる神様の受難についての議論です。私たちの罪を背負い、私たちの悪を負い、イエス様は苦難を受け、残酷で悲惨な死を迎え、それを耐えなければなりませんでした。そして原理で言うところの霊的救いを私たちに与えるのです。

私達はこれを探求すべきなのです。なぜなら霊的救いが原理で否定されているわけではないからです。 クリスチャンは救いを受け、神の家(教会)にいます。なぜなら彼らは霊的救いを受けているからです。

神様の不可欠な性質について興味深いことに、もちろん善とかいろいろある中で、その1つに公正さ、正義というものがあります。神様は高潔で公平です。

誰かが他人の罪の代価を支払うということが本当にできるのだろうかという問題があります。因果応報。その罪を犯していない人を代わりにして、誰か他の人の罪を償わせることができるのでしょうか。

刑法についてのすばらしいくまとめられた調査があります。あなたが法律家であればそれを調査して説明できるでしょう。因果応報についての刑法的、法的な正当化です。

多くの法的な状況があり、アメリカでもまさしくこれが実際の裁判で使われたことがあります。それはまた別の話ですが、そのような研究があります。

この改革者タレンタインは、罪について3つのことを述べています。1つ目は負債です。私たちが神様に負っている負債です。もっと正確には神様の正義に対する負債です。
「私達は神様に道徳的な義務を果たすべき義務がありますが、それを果たしていないので私達は神様に対して負債があります」

私達には完遂していない義務があり、私達は従うことなくそれを果たしていないので、これらの道徳的義務を与えた神様に負債があるのです。神様は私達に命を与えた方なのですから神様に果たすべき義務があるのです。私達は神様に借りがあります。

ですから罪は負債と見なすことができます。私たちが何か行って神様から離れ、神様を傷つけるならば、それは神様に支払うべき負債と見なすことができます。

また罪は、相互反目としても見なされます。ここで重要なのは相互と言う点です。私たちが神様とその戒律に対して反逆しているというだけでなく、神様の聖なる怒り、罪を憎む怒りが私達に対して向けられるということです。真に善であり正義である神様は、罪を憎むのです。なぜなら罪は悪であり、善ではないからです。

ですから神様は罪を拒絶し、非難します。ですから私たちが神様に対する罪の、反逆の人生を選ぶとき、私たちが神様に対して敵対するだけでなく、神様もまた私達に対して、聖なる公正と正義において敵対するのです。ですから私達と神様が相互に反目することになります。

そして3番目に、罪は犯罪であるということです。これが彼と対立したソシナスとの違いです。ソシニアンは、現在の教会の中でさえ一般的です。つまりそこでは罪は神様に負っている負債であると信じているのです。またそれは相互に反目していると。しかし、彼らはそれが犯罪だとは信じていません。

タレンタインはそれに対して、それは私たちが神様に対して犯した犯罪でもあるのだと言っているのです。そしてその罰は永遠の死であると。つまりそれは地獄であり、永遠に神様から離れることです。そして私達と、私達を正当に裁くことのできる最高の主権者の間で刑事責任を負わされるということです。

ですから、負債だけではなく、また相互の反目だけでなく、それは犯罪でもあるということなのです。

次に神様と罪に関してタレンタインが説明しています。先程のスライドで見た、私たちの罪が負債であり、相互反目であり、犯罪であるというのと同じように、3つのパターンに分けてそれを説明しています。

1つ目に神様は私たちの負債の債権者であるということです。神様の側から見ると債権者のようなものだということです。

反目については、神様は対立関係にある被害者となります。ただ許しを乞えば許されるというような簡単なものではないということが分かります。これが、神様はどんな罪でも許されると信じるソシニアンとの分かれ目になります。

そして人々は神様の正義を理解することができます。

3番目に私達の罪ということから、神様は最高の裁判官であり主権者であります。その方が何を作られたのでしょうか。法を作られたのです。私たちが従うべき命令です。それは恣意的に神様の頭から出てきたものであり、それらは神様の人としての性質の延長です。

因果応報を1番目と2番目の負債と反目という形でのみ見るならば、神様はすべての罪を許されるだけだと言えます。クリスチャンの中には繁栄の福音を求める人や、ユニテリアン・ユニヴァーサリズム的な人もいます。神様はとにかくすべてを許されるというのです。それは明らかに本当の福音ではありません。ソシニアンの福音です。

あなたが誰かにお金を貸していたとしたらその負債を完全に許してあげることができます。あなたにはその負債を完全に許して上げる力がありますね。それで神様が単に債権者だとすれば神様はその負債を許してあげることができるのです。

神様が相互反目していて被害者であるなら、神様はあなたを訴えないことを選択することができます。

しかし、あなたが犯罪を犯して神様が裁判官であるなら、神様はあなたを罰する義務があるのです。この人を罰したくないと言う選択肢は無いのです。なぜならその法全体を損なうことになってしまうからです。私達は原理と呼んでいます。原理的に行動するということです。神様が原理を作ったので原理的に行動するしかないということです。

ですから私たちの罪も犯罪であると理解すれば、神様はただの債権者ではなく、ただ傷つけられた存在なだけでなく、私達を罰しなければならないのだということが分かるのです。そして神様は、それを全く公正に、正しく行うことができます。良い裁判官が大量殺人犯を完全に公正に、正しく罰することができるのと同じように。

ですから私たちの罪の性質とその重大さ理解するなら、大きな罪から小さな罪まで関係なくそれらは私達を神様の性質から引き離すものであり、小さな嘘であっても神様から引き離すことになります。どれだけ自分が完璧だと思っていても、私達は神様の完璧さ、完璧な道徳的性質、完璧な道徳的性格の前では罪があります。

私達の罪は許してもらえる負債や反目だけではなく、犯罪であるのだと理解することが重要です。それは神様が宇宙全体の性質を破壊することなしに、また神様自身がご自分の性質に反対することなしには、簡単に許すことのできないものです。

そういうわけで私達ユニフィケーションは、原理または原理対原理に言及します。神様も原理を裏切り否定することはできません。ですから例えば、アダムとエバを許してあげることはできないのです。何らかのレベルの責任が必要なのです。何らかの蕩減を払わなければなりません。あるレベルの因果応報が、その負債だけも反目だけでなく、犯罪に対して支払われなければならないのです。神様だけが、正義の神様、善なる神様だけが犯罪に対して罰するのです。私たちが理解できるいかなる国であっても、そこで善良な裁判官が行うのとまったく同じことです。

学者が多くの韓国人は土着の信仰を持っていると指摘しているように家庭詐欺連合でも2つの神を信じていますが、今日においてさえ、まだソシニアン的な状態にあります。つまり神様は自分の負債を許して下さり、自分の反目を許してくれるのだと。1つ問題なのが、罪は犯罪でもあるということです。神様は犯罪を単に許すことはできません。あらゆる面で法を損なうことになります。自分自身の性質を損なうのです。すべての創造を損なうのです。罪の性質を犯罪としても理解するなら、そこから逃げるのは簡単ではありません。なぜならあらゆる国が生き残るのに不可欠な法律学と正義の様相全体を追求すれば・・・。

ジェフリー・ダーマー(訳注:17人の青少年を殺害した連続殺人犯)に判事の気まぐれで恩赦を受けさせたいと思いますか。ソシニアンによれば、皆さんは偏狭で憎しみに満ちた悪いクリスチャンということになります。

神様の性質はその法、戒律の源泉です。嘘をつかない、騙さないというのは、神様がそのような方ではないからです。そしてもし神様がご自分の性質から生まれたその法を損なうのであれば、被造世界全体と最終的には自分自身を損なうことになります。それが私たちの言う原理というものです。

ですから私たちが自分の罪、神様から離れることが本当に犯罪だと理解するとき、なぜ神様が愛していると同時に悪を憎まなければならないかが理解できます。

少数の良いクリスチャンと、またダイエットコーラのクリスチャン、つまり軽いキリスト教ということですが、あるいは家庭詐欺連合は、5分だけでも考えてみることをしようとしないのです。神様が債権者で自分が負債を負っており、自分が神様を傷つけたということは問題なく、それはすべて許されます。今度は罪が犯罪であるというとき大きな問題になります。

最後のときに神様が十字架の道で用いなければならない人々がいたのはこのためです。イエス様は十字架の道を歩まなければなりませんでした。もちろんそれは神様の因果応報であり、イエス様が負った罪は、負債だけではなく、反目だけでなく、正義の神として罰しなければならない創造主に対する犯罪でありましたが、それを通して救いが得られるのです。

タレンタインは、神様は負債を免除する債権者の権利を持っていますが、宇宙の最高の統治者と裁判官として、神様は犯罪を見逃すことができないのだと言いました。神様の正義と善なる性質において、犯罪を見逃すことは不可能なのです。正直な裁判官が、誰が犯した犯罪であっても見逃すことができないのと同じことです。

私達は、自分の気に入った人を見逃すような裁判官を腐敗した裁判官と呼ぶのではないでしょうか。神様が宇宙で最高に偉大な存在であるなら、最高に正直で最高に正当でなければなりません。ですからそのように腐敗することはあり得ません。

そしてキリストについては、人間の犯罪を償う贖罪としての3つの役割があります。1番目に、負債に関しては、キリストは私たちの保証であり、負債に対する確かな返済であり、その支払いの保証なのです。誰かがあなたに貸しているとするとあなたは彼らに支払いを準備しますが、それが保証です。確実性が得られるということです。

反目については、キリストは仲裁人となります。裁判官と犯罪を犯した人の間に立ってその過程の仲裁人となります。

そして犯罪については、キリストは犠牲的な死によって犯罪に対する罰を償う司祭であり犠牲者です。

以上のことからキリストは私達の罪の免除と救いに対する3つの関係性を持っているということです。興味深いこと思いませんか。

もっと深く探求すれば、キリストにどれほど価値があるのか、再臨のイエス様がどれほどかけがえないのかが分かります。再臨のイエス様も同じイエス様です。キリストはそれほど重要です。絶対に不可欠なのです。キーホルダーのアクセサリーではありません。

つづく

翻訳:BAMBOOS
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