クレイグ教授、無神論への挑戦―4月30日「王国の相続人」【英語説教日本語訳】(その1)

Kingdom Inheritor   April 30  2017   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

Kingdom Inheritor 「王国の相続人」

弁証学は非常に重要です。これは王国の相続者となることに密接に関わっています。なぜ神様を信じるのかという信仰を弁護することは、信仰の絶対的に中心的な重要な要素だからです。

このような内容すべてを記憶しなさいというわけではありませんが、弁証学の分野でこのような議論をして様々なポイントを覚えて自分を訓練して、いつでも誰とでも対することができるようになることはすばらしいことです。

弁証学を続けていこうとするなら、講義を行うことが良い方法です。そしてそれをPCで準備するのです。すべての情報を保持しておくのが難しいこともあります。このような内容は非常に詳細なものがありますので。

しかし自分の信仰を弁護して信じる理由を持つことができるということは、絶対に重要なことです。自分の為だけでもなく、神様の為だけでもありません。なぜなら神様は、愛していますといって動くようなロボットのように行動する人を求めてはいないからです。本当に神様を愛する者を、そしてなぜ神様を愛するのか分かっている者を求めておられます。

それだけでなく、皆さんが誰かと話をする場合にも良いのです。大学のようなリベラル的な場所に行って敵対的な無神論の文化に直面するからです。屈辱的なことを言われて攻撃を受けるのです。自分が愚かで教育を受けておらず、孤立していると感じさせられるでしょう。

しかし皆さんが自分を守る準備ができているならどうでしょう。口論する準備ができていれば、それが起きたときにもっと準備が整った状態で臨むことができます。

敵対的な場所に飛び込む前に、少なくとも自分自身を守ることのできる手段を持ちたいと思うのです。

弁証学は自分自身のため、自分と神様との関係のためだけでなく、あなたが話をする人々のためであり、あなたと他の兄弟姉妹たちが、神様を信じるに足る十分な理由があることがわかるのに必要不可欠なのです。それには一般的な神様だけでなく、キリスト教の神様、愛の神様、正義の神様、善の神様、物質や宇宙を超越した神様といったものもあります。これらが弁証学の様相なのです。

弁証学には数多くの窓があり、復活もその1つです。The Case for Christも弁証学ですが、それはイエス様の復活という弁証学の中の1つのセクションです。弁証学の分野は非常に膨大です。そしてそれぞれのトピックについて本が書けるほどです。非常に複雑で細かいのです。

無神論者が、神様を信じる人は教育を受けていない愚かな人であり、神が存在するとしんじるだけの十分な論拠はないと言って通用した時代は過去のものです。それは90年代、2000年代に完全に打ち倒されました。

今日も見せますが、ウィリアム・レイン・クレイグという人物が大学の神々に直接挑戦し始めました。オックスフォード、ケンブリッジ、ハーバードなど世界のあらゆるトップクラスの大学のトップの無神論者たちに対して挑戦したのです。すべての学生の前で公開討論を行いました。この人物はほんとうに聡明でした。

ウィリアム・レイン・クレイグの業績を学ぶことは、私にとって救いでした。例えば一世の人々は原理に出会ったわけですが、神様を既に信じていたので、神様が存在するのかという疑問を私は持たなかったのです。神様を既に信じていますので、知りたいのはこれが神様の導く正しい道だろうかということなのです。

多くの人が様々なキリスト教の宗派で信仰を持って育っていますが、ポストモダン時代の若者たちは、つまり50年代、60年代以降のことですが、完全に無神論的な世界観を浴びせられていました。それは大多数の教授たちから来たものです。80パーセントがマルクス主義者や左翼主義者、共産主義者です。

高等な教育を受けた人々が広く無神論を教えています。私が高校生のときリーファードという英語の先生がいて、彼は9年生のクラスで「聖書がどのようにしてできたのかわかりません。人々は聖書を信じていますが、それが本当は神話だということを私達は知っています」といったことを言っていました。しかしそれが文化なのです。聖書や神を信じることは神話だと。ゼウスやアテナを信じることのように。信じるに足る十分な理由はないのだと。

若者はそのような内容を浴びせかけられ、文化的な不可知論者になるか文化的な無神論者になります。私の場合、ある時期に少し不可知論者だったかもしれません。

私は仏教を勉強しましたが、仏教では神が存在するかどうかは問題ですらないと言うのです。ただ自分の悟りの修行に集中しなさいと言うのです。ですから仏教では論争にすらなりません。

しかし常に非常に不安な何かが心の底に潜んでいるのです。なぜなら神が存在するのかというのが最終的には最も重要な問いだからです。もし神が存在するなら私たちの生活を変えなければなりません。ですから非常に重要な問いなのです。

多くの若者たちは原理の講習を受けましたが、彼らはその前に神様が存在するかどうかという探求を行っていません。 ですから原理を勉強しても心の中では神様が存在するか分かっていません。彼らはまだ文化的な無神論者、または不可知論者だというのです。ですから神様のことを聞いても頭の中ですぐに「これは神話だ」「よくわからない」といったようになってしまいます。

私達は2007年か2008年頃、韓国で地域の教会に弁証学を取り入れ始めました。カープでは弁証学を準備しなければならず、討論をしなければならなかったのです。鮮文大学には中国人学生もいましたので中国の共産主義者と討論をしなければなりませんでした。公の場で正式な討論を行わなければなりませんでした。それは神が存在するかどうかという問いでした。

その質問に答えられますか。確信がありますか。どうしてわかるのでしょうか。「あなたのお父さんやお母さんが言ったから、教会や牧師が言ったから信じているのでしょう。それは神話のようなものです。ゼウスやミトラを信じるようなものです」と言うのです。

実際に議論を挑まれると何といって良いか分かりません。多くの人は自分を弁護する準備ができていませんので、イライラするでしょう。「そうですね。神様は私を愛していますからあなたのことも愛しています」と言って。しかし無神論者にとってそれは嘲りの対象でしかありません。「なぜ神を信じるかも分からないでただ神は自分を愛していると言っている。みんな、彼がどれだけ愚かか見てみなさい」と言うのです。そしてあなたに社会的な圧力と罪悪感によって神を信じるのは愚かだと思わせるのです。

私達はこれが「欧米の世界」の一部だということを理解しなければなりません。少なくともアメリカでは過去50年の間そのようであったのです。それは今変わろうとしているのかもしれませんが、非常に深刻な問題点です。

私は弁証学について長年話してきました。1年に1回ほど講義もしています。それは神の存在という主要な議論についてです。5つの主要な議論がありますが、皆さんにお話ししているようにそれはウィリアム・レイン・クレイグの業績に基づいています。

簡単に聖句について話しますが、これもまた王国のシリーズでありそれを弁証学に結び付けてみたいと思います。

私達はこれからウィリアム・レイン・クレイグとクリストファー・ヒッチンとの討論を見ます。ヒッチンは最も優れた雄弁家の1人です。哲学者ではなく無神論者側の雄弁家です。そして彼はクリスチャンを揶揄する才能の持ち主です。彼は非常に説得力があり、尊大な言葉を使います。彼はクリスチャンの相手を攻撃し、揶揄し、嘲けりますが、そのようなやり方で議論に勝つのです。しかし実際に議論に勝っているのではなく、一般的な意見を使って議論に勝ったように見せかける良くあるやり方なのです。

彼はそれが非常に上手でした。しかしこれは2009年のもので彼が癌で亡くなる直前か数年前のものです。この講義はカリフォルニアのキリスト教大学であるバイオラ大学で行われました。ウィリアム・レイン・クレイグと討論していますが、初めてのことではなく確か2度目だったと思います。

生徒にとっては、神が存在するかどうかというその質問をする機会なのです。彼が行くところは、そこが世俗的なキリスト教大学であっても満員になります。ハーバードに行った時も満員でした。ドーキンズとも討論を持とうとしましたが、彼はウィリアム・レイン・クレイグとの討論するのを恐れて現れなかったのです。

クリストファー・ヒッチンズもあるところで、ウィリアム・レイン・クレイグは最も恐ろしい討論相手の1人だと言っています。なぜなら彼は非常に鋭く、聡明であり弁証学を非常に深く知っているからです。ほんの小さな事を彼に問いかけても、1つの論文のような内容を持ち出します。彼は途方もない人物であり、私の命の恩人です。

私はブルース・リーの武道を研究しましたが、彼は哲学者でもありました。ジークンドー、ブラジリアン柔術、格闘技はすべて哲学と結びついています。それで私は様々な哲学を追求したのです。それは西洋の哲学ではなく、仏教や東洋の哲学でした。そして最終的に道徳哲学、あるいはまだ弁証学にたどり着いたのです。それはまったくの救いでした。

あなたに知能があるなら、精神的に何かの傾向があるなら、何か完全に理解しなければならないことで非難を受けるのであれば、あなたがそれに責任を持つ前に、弁証学が必要になります。

それほど知的な問題ではないのだという人たちもいます。ウィリアム・レイン・クレイグもそれが知的でないということにはならないと言っています。皆さんにその討論を見て欲しいので私からすべてその議論を説明はしませんが、弁証学は絶対的に重要なのです。自分を弁護し、自分の信仰を弁護し、神様に対する愛を弁護するのです。

あなたが神様を信じるその基盤が何か考えてみてください。なぜキリスト教の神様を信じるのでしょうか。なぜ愛の神、正義の神を信じるのでしょうか。神がいるとしても、なぜ神は愛の神、正義の神でなければならないのでしょうか。なぜ神はまるで時計を見つめるだけの人のように無頓着で無関心でいるのでしょうか。こういったあらゆる疑問を弁証学で扱っています。

弁証学は、皆さん自身と皆さんの信仰を世界に向けて表現する能力に直接的な影響を持っています。そのような意味で私は、なぜキリスト教の神を信じるのかというような分野に関するものではない、様々な問題を扱う通常の哲学に対してよりも、格闘技にもっと注意を払っています。

今日の聖句を読みましょう。

(ガラテヤ人への手紙5章)

19:肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、20:偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、21:ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。22:しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、23:柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。24:キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。25:もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。26:互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。

それはキング・ジェームズ版で、私はVariance(敵意)、 Emulations(争い)という2つの言葉に少し戸惑いました。もっと容易な方法はニュー・リビング版を見ることです。両方見たほうが良いです。キング・ジェームズ版は最も正確で、多くの翻訳版がありますがすべてはこれを参照しています。当時のジェームズ王がすべてのキリスト教の学者を集めて原語で存在している文章を元にして最も正確な翻訳をしようとしたのです。歴史的に見て最も正確です。もう1つの翻訳はもっと現代的な言葉で明確に理解できるようになっています。
(ニュー・リビング版を訓読される)

さてここで多くの人が混乱します。「悪い人が何かやっていてもそれに対して怒るべきではないのだろうか? それに対して口論し、そこから離れることはできないということだろうか? 悪と1つにならなければならないのだろうか?」と。

それが皆さんを相対主義に入り込ませてしまうということが分かるでしょう。

神様が神の武具を身に着けるように言われたことを思い出してください。足に平和の福音の備えを履くということは、平和を持って戦争に行くことができると言う意味です。あなたの精神は平穏であり、心は平穏です。不正や悪、悪魔の策略と戦うような場に入ることができるのですが、平穏であるということです。

それもわかるでしょう。クレイグ博士は平穏なのです。彼は自分の信仰を確信しています。非常に力強い信仰を持っています。彼は世界の最高の知性を持つ人々に立ち向かいます。世俗的リベラル派の、進歩主義カルトの、文字通りの神々のような人々に対して。彼はそのような人に立ち向かい討論します。彼は穏やかで正確であり、冷静です。そして弁証学については活気にあふれています。

討論のビデオを見ましょう。再生して最初はボリュームを切ってください。見てください。学生たちで満員です。ウィリアム・レイン・クレイグは弁証学において最高のレベルなのです。彼は、弁明と合理性を用いた、キリスト教の信仰の卓越した擁護者です。

私達がはっきりとしなければならないのはその議論を注意して聞くことです。それからもしあなたが若い人であるなら、ヒッチンズが言う事を聞いてみてください。彼は非常に雄弁でクリスチャンを揶揄する方法を知っていて、あなたを一般論に引きずり込む方法を知っているので、あなたはウィリアム・クレイグの言ったことも忘れてしまうでしょう。彼は自分のカリスマ的な罠にあなたを引き込んでしまうからです。

皆さんは討論の中で、とても頭を働かせておかなければなりません。大衆が溺れるような事にあなたも溺れてしまってはいけません。明確な論理を持って、明確な思考を保たなければなりません。

これを見たからと言って、あの討論はかっこいいとか、彼は感動するようなやり方ではっきり表現している、というふうには思えないでしょう。そんなことはまったくありません。それは合理的なのです。頭でそれを理解できるのです。それをつかんで理解できれば自分で表現して人々を救うことができるのです。

カリスマ的で良い論述をしている人の話を聞くとそれに取り組むのが容易になります。しかし同時に、自分ではウィリアム・レイン・クレイグのようにはっきりと表現できないかもしれません。私やギデオンのようにはできないかもしれません。ですから問題はあなた自身が、なぜ神を信じるのかを表現できるのか、弁護できるのかということなのです。そうでなければ、あなたが聖書の神と呼ぶ、神話の世界のゼウスのような宇宙の空飛ぶスパゲッティモンスターを信じているのかということです。

この討論の構成は、伝統的な学術的討論の方法で行われます。最初の発表者が15分か20分発表します。次の発表者が最初の意見を述べます。それから最初の発表者がその無神論者に反論を行うのです。クレイグが先に自分の主張を行います。そしてクリストファー・ヒッチンズが自分の無神論の主張を発表します。それでウィリアム・クレイグがそれを批判するのです。それからクリストファー・ヒッチンズが批判する時間を持ち、またクレイグとなります。それで3つ目のセクションがもっと短くあると思います。彼らは2回の反論の機会があります。それから聴衆の質疑があります。

皆さんこれは非常に重要です。あなたの信仰を守れるでしょうか。主張に注意を払ってください。表面的なものや形式ではなく主張そのものに集中してください。

翻訳:BAMBOOS


参考資料 ― 管理人が以前字幕を付けたクレイグ教授の短いビデオ。

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クレイグ教授、無神論への挑戦―4月30日「王国の相続人」【英語説教日本語訳】(その1)」への2件のフィードバック

  1. ロード の発言:

    この動画「Does God Exist?」の日本語訳(同時通訳、字幕、テキスト文章、いずれでも可)を、どなたかご存じないでしょうか?

    いいね

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