亨進様「王冠摂理について」4月20日K’S REPORTより

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 今日のリマ

ゼカリヤ書3章1~10節

03:01主は、主の御使いの前に立つ大祭司ヨシュアと、その右に立って彼を訴えようとしているサタンをわたしに示された。
03:02主の御使いはサタンに言った。「サタンよ、主はお前を責められる。エルサレムを選ばれた主はお前を責められる。ここにあるのは火の中から取り出された燃えさしではないか。」
03:03ヨシュアは汚れた衣を着て、御使いの前に立っていた。
03:04御使いは自分に仕えている者たちに向かって言った。「彼らの汚れた衣を脱がせてやりなさい。」また、御使いはヨシュアに言った。「わたしはお前の罪を取り去った。晴れ着を着せてもらいなさい。」
03:05また、御使いは言った。「この人の頭に清いかぶり物をかぶせなさい。」彼らはヨシュアの頭に清いかぶり物をかぶせ、晴れ着を着せた。主の御使いは立ち続けていた。
03:06主の御使いはヨシュアに証言して言った。
03:07「万軍の主はこう言われる。もしあなたがわたしの道を歩み
わたしの務めを守るなら
あなたはわたしの家を治め
わたしの庭を守る者となる。わたしはあなたがここで仕える者らの
間に歩むことを許す。
03:08大祭司ヨシュアよ
あなたの前に座す同僚たちと共に聞け。あなたたちはしるしとなるべき人々である。わたしは、今や若枝であるわが僕を来させる。
03:09ここに石がある。これはわたしがヨシュアの前に差し出すものだ。この一つの石に七つの目がある。わたしはそこに碑文を刻む、と万軍の主は言われる。そして、一日のうちにこの地の罪を取り除く。
03:10その日には、と万軍の主は言われる。あなたたちは互いに呼びかけて
ぶどうといちじくの木陰に招き合う。」

(キリスト教啓蒙サイト、Got Question? Orgから朗読される)

最初に、曖昧さ回避:ゼカリヤ書に登場するヨシュアは、聖書のヨシュア記のヨシュアとは別人です。ヨシュア記のヨシュアはモーセを助け、イスラエルにヨルダン川を渡らせ約束の地に紀元前1400年に導き入れたヨシュアです。

ゼカリヤ書第3章のヨシュアはアロンの子孫、レビ人であり、バビロン捕囚後の紀元前538年頃にエルサレムにいた人です。ヨシュアの名前はまた “イエシュア”としても現れ、バビロンから最初に帰って来た人のうちの一人としてネヘミヤ7:7にでています。: 「彼らはゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、アザルヤ、・・・と共に来ました。 」

預言者ハガイもまた大祭司ヨシュアに言及しています。「ダリヨス王の第二年の第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアとに、次のような主のことばがあった。」(ハガイ1:1)。

ヨシュアはすぐに神殿再建に尽力しました(エズラ5:1-2)。神は預言者ハガイとゼカリヤを用いて、神殿を再建し、人々を励ますようにとの御言を伝えました。ヨシュアは霊的指導者および大祭司として仕えながら神殿再建を支えました。ゼルバベルはユダの総督であり、また神殿建設に携わっていました。

ヨシュアは再建されたエルサレムの最初の大祭司として重要な歴史的役割を演じ、帰還者の第二波でエルサレムに戻って来くるエズラの先任者であった。

神は預言者ゼカリヤにヨシュアの頭に王冠を置くよう命じられました。「銀と金を受け取り、冠をつくり、それをヨツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭に載せて、宣言しなさい。」(ゼカリヤ6:11)ヨシュアはすでに大祭司であり、預言者は彼を象徴的に王位に立てたのでした。この戴冠式は、神殿を建て直す作業の中でヨシュアに励ましを与えた。またこれは将来の救世主-大祭司であり王である-の視覚的予言でした。重要なことに「ヨシュア」というヘブライ語はギリシャ語に直せば「イエス」になる。このように、大祭司であり王でもあるヨシュアは、来るべきメシアの前兆であり、その類似性は彼の名前にまで及んだ。

非常に興味深い話です。イエスはヘブライ語でまさにイエシュアといいます。
ゼカリヤがまさにヨシュアの頭に王冠をのせるよう神様からいわれたのです。非常に興味深いですね。ヨシュアはもちろん神への信仰の中心である神殿再建に関わった人でした。ヨシュアは捕囚の後、ネブカドネザル王のバビロンから戻ってきました。

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-亨進様-

神様の霊は、私を荒野路程を味わわせるように荒野に導かれました。お父様が指し示された位置にどのようにしてつくことができるのか。まさに天一国の二代王であるとともに大祭司の位置に他なりません。すべてのサンクチュアリは組織によって一つになっているのではありません。サンクチュアリはそれぞれの国、それぞれの地域でまったく異なる組織です。

文鮮明師を再臨主、メシアであると認めている点と、
文亨進が二代王であり文鮮明師から王統を継ぐ相続者であることを認める点。

この2点がサンクチュアリの信仰と私(文亨進)が神学的問題における最終決定権を持つ大祭司として認識する基盤になっているのです。経済、組織運営を担っているわけではありません。しかし皆は神学的問題においては私に支配権を委ねているのです。ですから大祭司と王について語るのは有益なことです。荒野路程を通過しなければなりませんでしたが、次には神殿を再建しなければなりません。神様を礼拝する中心を再建するのです。神の王国の中心です。いわばエルサレムが神の国になるように。

きっとヨシュアは王冠を被りたくなかったと思います。エルサレムの王。
私も本当に抵抗しました。私のアイデンティティにあえて踏み込むまでは王冠など被りたくなかったのです。複雑な思いを抱えていたからです。怖れを感じ、その価値のないものだという思いもありましたし、戦慄を感じました。

神様の霊は「ヨシュアは汚れた衣を着ていた」とここでかたっておられます。もちろん私たちの汚れた行ないを指しておられるのです。私たちは自分の行いを誇りますがすべての数学、宇宙の創造を考えられた万能の創造主の目から見ればただ汚れた衣であり、何の価値もないものなのです。理解しなければならないことは、私が何事かを成し遂げたからこの位置に立ち、天一国の王として王冠を被り、大祭司であると言っているのではないのです。

すべてのことはお父様が指名されたからしていることなのです。この違いがお判りでしょうか。私が欲し、願い、相応しいことをしたからこうしているのではないというのです。

私に授与されたお父様のゆえに、この場にいるのです。私を信じて下さったのです。私のお父様に対する愛を信じて下さったのです。最終的にはそれが私たちが依って立つ力なのです。

王冠摂理が始まり、すべてのサンクチュアリの兄弟姉妹は自分たちの王冠を準備しています。氏族血統圏の王と王妃です。自分達を誇るためではなく、天と地を連結する渦の中心点(Vortex Point)にいるからです。すべての先祖がそれを待っているというのです。地上の王に仕えることにより彼らは生命力を得ることができるのです。

img-thing王冠摂理で国進兄さんに「仕返し」ができることを嬉しく思います。兄さんが自分の王冠を造るのです。自分たちが王冠を戴(いただ)く前に、真のカインの代表である国進様に戴冠させてあげたいと願う世界の兄弟姉妹に感謝します。韓国、日本、アメリカでも戴冠は真のカインが先にされてから自分達も行うと言っています。素晴らしい心情だと思いませんか。美しい心情です。

今オリジナルの王冠のデザインをデザイナーに頼んでいるところです。兄弟姉妹の好みに応じてジョンが3つの価格帯で用意しています。

(*上の2つの王冠の写真はサンクチュアリでデザインしているものではありません)

国進兄さんは当時の私のように王冠を被るのをだれよりも嫌がっている人です。

今や神様の霊の導きがすべての兄弟姉妹に、決して自らを誇ることなく、神様が与えられた自らの位置を自覚させていることを国進兄さんも理解しています。これらは王冠、その責任をくださる方への感謝と栄光を返す位置であり象徴です。大きな自由のある所には相応の責任が生じます。真の男と女、真のキリストの体が立ち上がり神様の王権、三代王権とともに立つ。氏族血統圏の王、王妃として立つのです。サタンの王国に対してイエス様は立ち上がりました。またサタンはすべての王の権威と権力に反対します。
私たちが立ち上がって自らの位置に立つとき、そして私たちが抵抗するときサタンは必ず逃げ出すのです。

 

翻訳:管理人
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