2017年3月5日説教「万王の王の王国」【英語説教日本語訳】(その1)

 

Kingdom of the King of Kings March 5 2017 Rev. Hyung Jin Moon Unification Sanctuary Newfoundland PA on Vimeo

2017年3月5日説教「万王の王の王国」

Kingdom of King of Kings

【英語説教日本語訳】(その1)

 

使徒行伝19章
1:アポロがコリントにいた時、パウロは奥地をとおってエペソにきた。そして、ある弟子たちに出会って、2:彼らに「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と尋ねたところ、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。3:「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。4:そこで、パウロが言った、「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。5:人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。6:そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。7:その人たちはみんなで十二人ほどであった。8:それから、パウロは会堂にはいって、三か月のあいだ、大胆に神の国について論じ、また勧めをした。9:ところが、ある人たちは心をかたくなにして、信じようとせず、会衆の前でこの道をあしざまに言ったので、彼は弟子たちを引き連れて、その人たちから離れ、ツラノの講堂で毎日論じた。10:それが二年間も続いたので、アジヤに住んでいる者は、ユダヤ人もギリシヤ人も皆、主の言を聞いた。

パウロがエペソでも反乱を始めるという興味深いエピソードです。なぜなら、そこにはアルテミスの女神の像を作る者がいたからです。それはもちろん、月の女神であり、永遠の処女であり、狩人のところに現れてセックスをするというものです。これはでっち上げられたものであって、女神信仰は常に売春カルトへとつながるのです。またアフロディーテとも呼ばれ、神殿娼婦として知られています。

人や文明が別の神に引き渡されるときはいつでも、別の結果が起こるようになります。別のものに仕えれば別のことが起こるのです。神でなくても西洋社会の多文化主義を信じなければ、差別主義者であり偏った人物だということになります。すべての宗教は同じ山を目指して登るようなものだと言っています。それはまったく真実ではありません。

ある神が子供を殺害せよと言っている一方、別の神は子供を守りなさいと言っているとすれば、それは非常に大きな違いなのです。同じ神ではありません。

エペソでも、福音を説き神の王国を説くパウロに反対する運動がありました。そしてパウロはエペソから追い立てられ追い出されようとします。4節のところから注目してみましょう。

4:そこで、パウロが言った、「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。5:人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。

私達は西洋社会の多文化主義に洗脳されているかもしれません。私たちは「教育を受けた人間」として、すべての宗教は同じ道をたどるものであり、すべてが神様へとつながり、すべてが真実なのだと信じなければならないのです。そして、多文化主義の主張こそが絶対で、それ以外に絶対的に真実であるという主張はできないのだと。それに同意しなければ差別主義者、偏った考え、同性愛嫌悪、などと言われます。彼らは寛容なふりをしていますが、まったく不寛容なのです。

ヨハネの洗礼は私たちに罪からの悔い改めをさせましたが、罪の悔い改めがイエスの名による洗礼とどれだけ違うものか注意してください。なぜならイエス様ご自身は罪の悔い改めではありません。彼は考えや思想ではありません。宗教でもありません。イエス様は、人間なのです。イエスと言う名前の人を示しているのです。ヨハネは苦行して悔い改めの洗礼を与えていたかもしれませんが、それは人ではないのです。

他のすべての宗教は良い行いをすれば報いを受け、悪い事をすれば罰を受けるということに焦点を当てています。イエス様は、「私は世の光である」と言われました。多文化主義で言えばイエスもまた偉大な教師の1人だということになりますが、偉大な教師という基準で見ると、イエス様はとんでもないひどい教師ということになるのです。

いつも自分のことを称賛して、世の光であるとか道であり真理である、自分によらなければ父に至ることはできない、私を見た者は父を見たものだ、と言っていたのです。現代の感覚で言うとひどい先生だというのです。ですから、C.S.ルイスは、イエスは嘘つきかキチガイか、神のいずれかである、と書いたのです。どれでもあると言うことはできません。どれか一つだというのです。

ヨハネの洗礼は人々を罪の悔い改めに至らせます。聖霊による洗礼は、イエスという人に至らせるのです。それは非常に大きな違いです。私たちは原則を崇拝しているのではありません。私たちは行いを崇拝しているのではありません。何らかの道徳的な達成を崇拝しているのではないのです。道徳的な姿勢のようなものを崇拝しているのではありません。心理学のようなものを崇拝しているのではありません。私たちは1人の人を崇拝しています。私たちが救いを受けるのは、キリストという、イエス様という人からなのです。イエス様の原理や、キリスト教と関連する実践からではありません。道徳的な達成からではありません。

イエス様は、「あなたは神聖で完璧な神様にとって十分にふさわしい者には決してなれない」と言われるのです。「神様のように欠陥のない者になることはない」というのです。あなたは既に神様の前に罪を犯しているのであって、聖なる裁きに対して罪を犯してしまっている、ということです。

エマーソン・アグリッチ、サラ・アグリッチの素晴らしいプログラムを見ていました。夫と妻の、愛と尊敬の関係についての素晴らしい内容です。非常に素晴らしい5つのDVDシリーズがあります。あなたの結婚生活がまったく別の次元になることでしょう。結婚を控えている人も見た方が良いです。非常に洞察に満ちていて、神様のみ言葉に骨の髄を貫かれるかのようです。祝福や結婚の前に見れば多くの苦難を省くことができるでしょう。まだ決定ではありませんが、王妃が次のHSUセメスターで教えることを検討しています。5つのビデオをすべて見ましたが、非常に神様のみ言葉に根ざしていて素晴らしいものです。

すべては人なのです。神様の王国はただの素晴らしい世界によって来るのではありません。願望だけによって、私たちの道徳的行いだけによって、私たちの信仰だけによって来るのではありません。私たちが義務を果たして、良い行いをした結果として来るものではないのです。

神様の王国は、キリストという人間が現れたときに初めて訪れます。なぜならその王国は原理を中心とするものではないからです。法律を中心としているのでもありません。すべてはある人から来るものです。実体的な人間です。

罪の悔い改めの洗礼は宗教上の行いとして見ることができるでしょう。それは告白して許しを受けるというような宗教的な制度が持つ道徳制度です。現代の心理学ですら告白と許しのようなものがあります。神様の真似事をしているのです。

本当の洗礼はある人と共にあることを必要とします。あなたが完璧でなくともある人と共にあることを求めます。その人と共に生きることが必要なのです。ですからそれは、道徳的な命令を守るということとは全く異なるのです。それは人を愛するということであり、その人に喜びをもたらしたいと思うということなのです。私が妻を愛するとき、彼女に喜びをもたらしたいと思い、それが私にも喜びを与えます。それが私の魂を満足させるのです。それが私の永遠性を心地よく刺激します。

原理と結婚はしません。何かの行いと関係を持つことはありません。私が関係を持つのは人なのです。結局私たちは、人々と深い関係を結びたいと願っているのです。インターネットやソーシャルメディアは私たちを様々なところでつないでくれますが、一方では私たちをバラバラにします。スカイプで離れたところから顔を向き合わせられるのは素晴らしいですが、その会っているというのは人ではないでしょうか。

原理や思想、ある種の活動や宗教、信仰、命令、決まり、といったものがそこにはまだあるのですが、すべての目標、永遠の目標は、いわばマザー・テレサになることではないということです。

聖書には、人の善行は汚れた敷物のようだとあります。汚れた服のようだと。それが問題なのではありません。自分のほうが良い行いをしたとかそういうことではなく、私たちすべてはこの人を必要としていると認識することなのです。

イエス様は自分が罪人でないふりをしている人より、自分が罪人であると知っている人のほうが高いのだと言われていました。もちろん私たちは、原理や思想に従って自分を導く必要もあります。しかし、結局のところその命の水はある人から注がれるものなのです。

その水は、神様が人のかたちをとって現れた人物を源として出てくるのです。私たちをご自分のかたちに創造された慈悲深い善なる創造主。それが、私たちがつながるものです。

クリスチャンの本当の意味は、キリストと共にある、キリストの、ということです。死んだときにどの宗派を選ぶかという意味ではありません。神様との関係を持つということなのです。

エペソ5章には、分かりやすく言えば、夫は妻を、たとえ彼女を愛せなくても無条件に愛しなさい、とあります。そして妻は夫が尊敬できなくても尊敬しなさい、とあります。それが命令であって選択の余地はありません。あなたが神様を愛するならそうしなければなりません。それが簡単だからでもなく、自分がそうしたいからでもなく、神様がそれをあなたに求めているからです。あなたの配偶者はこの世界における神様のみ旨のための道具だからです。

あなたが交流し合う人を通して、最終的には神様との関係を助けることになります。男性は肩と肩で付き合いますが、女性は顔を向き合わせて付き合います。それには社会実験の研究結果があって、女性を同じ部屋で一緒に過ごさせると年齢に関係なくいつの間にかお互い向き合って話をし出すということが分かっています。男性の場合は、そのまま壁を向いたままで何もしゃべらずにいるのです。

良い例があります。ジョーとロブという二人の男性が三日間の狩猟から帰ってきて、妻が何を話したか聞くと「別に」と答えます。「どうして?ロブの奥さんが妊娠したって聞いてなかったの?」「何だって?妊娠?」このように男性同志は肩と肩で過ごすのです。

スターバックスに行っても、男性はコーヒーを頼んで出て行きますが、テーブルについているのはほとんど女性です。コミュニケーションの仕方が違うというわけです。女性はフェイストゥーフェイスなのです。

それで夫がそのようにしないからと言って悪循環(ヘル・サイクル)が始まってしまうのです。愛されないと夫を尊敬しなくなり、夫は愛さなくなり、ということです。それで結婚がうまく行かなくなっていきます。

私たちが本当に尊敬されていると感じ、妻が自分のことを本当に気にかけていると感じ、自分が一家の父親であることを認め、子供たちの前で私たちの権威を守ってくれ、このような神様を信じる女性がなすべきことをすべてしてくれるなら、最終的に自分たちが望むように家庭を守り安定させることになり、それが喜びであり幸せであり、強い結婚であり、家族の関係になります。

神様には計画がありますが、それは神様と関係を持つときに実現します。それは単に何かの原則に従うだけでは実現しないのです。私たちはとても世俗化してしまったので、例えばこの本を読んで7つの原則を学べばこうなる、とか、そうではないのです。問題は人なのです。

人生の目的は喜びです。喜びを与えることです。自分のことではなく、あなたのことではなく、喜びを与えることです。すべての人に相対的な喜びを与えるという意味ではありません。多くのサタンがいます。不正は罰せられなければなりません。小児性愛者に喜びを与えてはいけないのです。ですから文脈を無視して私の言葉を捉えないでください。

私達の目的は創造主に喜びを与えることです。それは個人的な関係です。神様は個人的であると同時に個人的でないことはできません。神様は、子供を守ると同時に殺したりレイプしたりする神様であることはできないのです。善であるか悪であるかのどちらか一方でしかあり得ないというのです、

宗教的な性質の洗礼によって罪を悔い改めたり、より良い人間になったりするかもしれませんが、そのようにして聖霊を受ける事はないというのです。神様の火を注入されることはありません。自分の中に生きた神様の力を受ける事はありません。

洗礼を受けて本当にイエス様を知り、彼に服従し、自分をなくしてイエス様の命、キリストの命の中に生まれ変わるとき、そのようなときこそ人々は聖霊を受けるというのです。

原理に服従するのと実際の人に服従するのではとても大きな違いがあります。あなたはその人に対して説明責任があるのであって、原理や道徳的な決まりのようなものに対して説明責任があるのではないのです。私たちがある人に服従するとき、その人は私たちが結婚生活で真の愛と尊敬を持つことを求めます。その人は私たちが強い家庭を持つことを願うのです。その人は自分が私たちを愛するように、私たちが次の世代を愛することを願います。彼が悪から自分を分立しているように、私たちもそのようにします。

自分を誰につなげるのか、自分をどの神様につなげるのかが、私たちの根本的な核となる思想なのです。

つづく

翻訳:BAMBOOS
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