2016年12月18日説教「待ち望む王国」【英語説教日本語訳】(その1)

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待ち望む王国 Kingdom Awaited (その1)

ルカ23章を読みましょう。マタイ、マルコ、ルカと王国に言及する箇所を読んできましたがこの部分はルカ福音書の中で王国について言及している最後の部分です。来週はヨハネに入ります。

23:46そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。 23:47百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、「ほんとうに、この人は正しい人であった」と言った。 23:48この光景を見に集まってきた群衆も、これらの出来事を見て、みな胸を打ちながら帰って行った。 23:49すべてイエスを知っていた者や、ガリラヤから従ってきた女たちも、遠い所に立って、これらのことを見ていた。
23:50ここに、ヨセフという議員がいたが、善良で正しい人であった。 23:51この人はユダヤの町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた。彼は議会の議決や行動には賛成していなかった。 23:52この人がピラトのところへ行って、イエスのからだの引取り方を願い出て、 23:53それを取りおろして亜麻布に包み、まだだれも葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた。

ルカによる福音書で最後に登場する神の国の箇所です。ここでアリマタヤのヨセフという人がでてきますが、彼は「神の国を待ち望んでいた」とあります。これまでイエスの福音は「十字架の福音」ではなかったことの多くの証拠を目にしてきました。

イエス様本人の語る福音は、「世界にこの福音を宣べ伝えよ」というみ言にあるように、決して「十字架の福音」ではなく「神の国の福音」であったというのです。

原理を知る者はこの事実を理解しているのですが、福音派キリスト教ではこの事実を認めることは難しいのです。しかし私たちが何カ月もかけてみてきたように、福音書の中でイエス様は福音を「神の国の福音」と定義しているのであり、福音とはまさに「神の国」を告げるものであったのです。はっきりお分かりでしょう。これまで多くの箇所でイエス様が福音について述べた聖句を見てきました。この聖句のアリマタヤのヨセフもまさに「神の国を待ち望む」者であったのです。

イエス様とともにいた者たちは神の国を待ち望んでいたのです。中東の荒野の中の小さな群れです。石でできた町エルサレムと取り囲む地域です。となりのエジプトとは紅海を挟んでいるだけです。そのような所から「神の国の福音」が出てきたというのです。当時の人々が「神の国の福音」と聞いてどのようなものを想像するでしょうか。しかもそれは彼らの知るエジプト王国、イスラエル王国などすべての王国にとってかわるというのです。当時はまさにローマ帝国の時代でした。カエサル・アウグストゥスの帝国に暮らしていたのです。

そこに中東のユダヤの田舎者が「神の国」について語りそれを自分が造るといっているのです。ローマ帝国の支配を奪うといっているのです。ローマは当時、現在のヨーロッパの3分の1を支配していたのです。

ミクロ、マクロでみた場合、イエス様が動き語っていたミクロでの出来事がマクロに影響を及ぼすのです。ガリラヤおよびエルサレム周辺の小さな地域の小さな集団が全ローマ帝国ひいては全世界を屈服させるのです。キリスト教文化は世界を征服しました。

だからサタン主義者、共産主義者はキリスト教文化を憎むのです。なぜなら最終的には文化間の闘いになるからです。相手の文化を自分の文化から分離し隔離しなければなりません。相手を孤立させ放浪させることで最終的に自分たちの文化を押し付けることができるようにするためです。中央集権の1つの体制の中で育つようにし、そこでは一握りのトップエリートが支配する、そのような文化です。それが人類歴史上現れた政治体制のほとんどを占めるのです。一部のエリートが権力を求め権力の集中を欲しているなどというのは陰謀論者の考えにすぎないというのなら一度歴史をさかのぼって学ぶと良いでしょう。繰り返し同じパターンを見るのです。民族、考え方の違いを超えて同じ天使長的支配を見るというのです。

イエス様に従っていた人々は全く異なる王国に属していました。彼らが待ち望み、期待し、信じ希望していた王国は全く異なるタイプの王国だったのです。全く逆さまの王国です。今まで暮らしてきた帝国の現実からは受け入れ難いものでした。当時の現実は皇帝アウグストゥスがいて中央集権国家、政府があり、中央主導の教育、中央主導の福祉、その他すべてが中央主導でした。マネーサプライ(通貨供給量)から銀行業、貸付まですべてです。

まさにそれは共産主義者の夢の世界です。人良さ気(げ)に近寄ってきて「私たちは貧しい人のため思っている」などと言っても実際はそのようなことは考えていません。ただ中央集権社会の中でエリートになって皆さんを支配し押しつぶしたいだけなのです。20世紀の共産主義国家を見て下さい。100%失敗しています。惨めに失敗しているのです。

神様がもたらしイエス様がもたらそうとしていた王国は全くそれとは異なる王国です。人々が直接、神様とつながる世界です。人間の思惑、組織、宗教によって損なわれることのない衰えることのない王国です。イエス様は「正しい行いだけ、律法を守るだけでは救いを得ることはできない」と当時の宗教人を叱りつけました。

完全無欠の聖なる神様の前では、私たちは例外なく罪人です。そのような何の資格もない堕落した人間にそれでも愛を与えて下さるのが神様である、というのがイエス様の教えでした。その神様との関係性において永遠の生命が与えられる。神様から生来自然の権利を与えられているのです。

それらは神様の性質、神様の神格から流れ出たものです。律法は神様から孤立したものではなく神様の性質、神様の神性からの延長線上にあるものだというのです。神様が正しいお方なのでその延長線上に律法が出てくるのです。神様は真実なお方なので嘘は受け入れ難いものになるのです。

だから「嘘をついてはならない」という律法はどこからともなく出てきたものではなく、神様の真実性の延長線上にあるものなのだというのです。

神の王国には宗教、政治、経済が付随するとしても、それらから神の国が生まれるのではありません。神の国は根本的に人間と神様の関係性に基礎を置くのです。天一国憲法も同様です。

私たちの社会では人間の権利は神与のものであるにも関わらず人から与えられたものであるとされています。人から与えられたものであるなら人間によって変更することも取り去ることも可能です。あなたの地上での人生が人間の気まぐれによって決定されるということになります。

関係性こそが人生に意味と目的を与えるのです。最終的には超越者、創造主との関係性によって人生に完全な喜びと保護がもたらされるのです。もしそれらがなければ権利とは組織がわれわれに与える特権に他なりません。神様が神の子たちに造り与えた世界は組織が与える特権ではありません。本来の権利があります。創造主によって与えられた譲ることのできない権利です。

ゴールドマン・サックスやダボスグループ、ロスチャイルドなどのスーパーエリートたちは私たちの父親ではありません。私たちの神ではないというのです。どの権利を与えどの権利を与えないかを決めるのは彼らではありません。

これを知っておくことは非常に重要です。私たちの人権の源、出発点が分からなければせいぜい無神論哲学者のステファン・モリュニューのいうように「普遍的に好ましいとされる振舞い」としか表現できないのです。神様抜きの哲学ではそこまでしか辿り着けないのです。

奪うことのできない権利ではなく「普遍的に好ましいもの」にすぎないのです。では何者かが「普遍的に好ましい‥」それがなんだ、自分は自分の5%の責任でそんなものは認めないといったらどうなるでしょう。そのような独裁者が出てきたらどうなるのか。野蛮な暴力によって直ちに消し去られるでしょう。「『普遍的に好ましい振る舞い』など、そんな話は聞かない、自分が『好ましい』と思うことをする。自分の自由になる資源を増やして、お前たちを支配する」と独裁者はいうでしょう。

今、マクロでは決死的闘いの中にいます。トランプの大統領就任まであと33日だとしても、知っての通り左翼は必至で妨害しようとしています。選挙人を何とか動かして結果を変えようとしています。

翻訳:管理人
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