2016年9月11日 説教「近接する王国」【英語説教日本語訳】(その3)

Kingdom Proximity   September 11  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

「近接する王国」 Kingdom proximity その3

 
さて、(天一国の)王妃も黙って傍(かたわ)らで座って「子供たち、しっかり鍛錬しなさい」と檄(げき)をとばしているだけではありません。彼女も練習に参加し汗をかいているのです。本当に全身あざだらけです。相手を絞めたり絞められたりしているというのです。キックボクシングをしているところを見た人もいるでしょう。他の女の子から顔にパンチを受けたり、頭にキックを受けたりしています。もちろん反撃もします(笑)。
恐れに挑んでいるのです。ここで王妃にも神様の導きについて証をしてもらいましょう。

ヨナニムの証

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今朝、柔術の練習について証をするよう願われました。「じゃあ準備させて」と言ったのですが、「自然でいいよ」といわれました。でも何か準備しなければなりません。私は御存じのように美術工芸を学びました。私はおとなしくて引っ込み思案なほうで、読書などを楽しむ人間です。どちらかといえば静寂を好みます。キャンバスは打ち返したり首を絞めたりしません。だから私にとって大きな挑戦でした。人は冗談だと思うかもしれませんが文字通り体がすくんでしまいました。

亨進ニムも言いました。「女性は普通このような訓練を好まない。それより映画でチャーリーズエンジェルを見て、強くなった気がする方を好む」。まさに私がそうでした。本当に震えが止まらなかったのです。「神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである」というテモテ第二の手紙1章7節をくりかえしていました。朝起きてから不安になればそれを唱え、柔術が始まる7時が迫ってくる時には50回はそれを唱えたと思います。

柔術の練習は火曜日にあるのですが、日曜になるともう不安が始まります。トレーニングのことを思うと眠れなくなるほどです。私が青あざだらけだと亨進ニムはおっしゃいましたが、人より一生懸命トレーニングしているというよりもあざができやすい体質だと思います。

驚くべき体験でした。私自身を振り返った時、自分を謙遜にしてくれたと思います。実際、型を習うのではなしに、じかに戦うので自分のレベルが分かります。ある日は自分が相手を降参させてもまた別の日には自分が降参してしまいます。私の相手は12歳から14歳という若い人で動きがとても早く、いつも降参させられます。今そこでビデオをとっている息子が有り難いことにいろいろアドバイスしてくれるのです。そして一緒に練習してくれます。母と子のきずなが深まります。私が質問すると息子がその技を教えてくれます。
お父様が本当にブラジル柔術を愛しておられたことを知っているのでいつか必ず黒帯を取りたいと思います。以前絞め技を一つだけ亨進ニムから習っていたのですが、それを見たお父様の喜ぶお顔を皆さんにお見せしたかったです。

亨進ニムはお父様に、「妻にさせないで下さい」というのですが、訓読会中でも突然「おまえ!次はおまえ!」と参加者を指名されて、「ヨナ!この者を絞めてみなさい」とおっしゃるのです。私は「ああ、この脂ぎった韓国人幹部に絞め技をかけるなんていやだ」と思ったのですが…(笑)。

ところがお父様はとても楽しそうで、その表情をお見せしたいくらいです。お父様も一番の楽しみであるかのようでした。だから私が黒帯をとるなら、きっと誇りに思ってくださるでしょう。

最後に一つ言っておきたいことがあります。女の子にこういうものを習わせると男まさりになってしまうのではと心配する両親がいますが決してそうではありません。練習では偽りではない本当の自分のレベルがわかるので夫に対する敬意も生まれます。頭の中で想像していた幻想は消える結果、夫や息子たちに対して敬う思いが生じます。ありがとうございます。

【ヨナニムの証終わり】

真実を追い求めるのは素晴らしいことです。私が柔術を好む理由もそこにあります。幻想の入りこむ隙がありません。自分の現実を知らなければなりません。対戦相手を偽ることはできません。また「負けたらどうしよう」「恥をかきたくない」などという思いを克服しなければならないのです。なぜならそれはあからさまになるからです。

私が先生のジョジョと対戦するとき、私が降参したり、先生が降参するときもありましたね。隠し立てできないのです。誰かがビデオ撮りしているでしょう。またそれをインターネットにアップされることもあります。それを超えていかなければなりません。本当に恵みです。

こうしてここでまた若者たちと宣教活動できることは本当に恵まれていると、個人的にも大きな霊的喜びを感じています。王宮にいたときと大きな違いです。あの頃は責任も多く、世界中飛び回っていました。お父様に代わって成すべきことが多くあったので、いつもは私とトレーニングしているフランシスコに子供たちを鍛えてくれるように頼んでいました。

神様の業は信じる者にとってすべてよい方向に働きます。私たちは(お父様聖和という)艱難のときに際しても固く神様に立っていたので、今おもえば、神様はその機会を神の国創建の開始としておられたのだとわかります。近接する王国、すぐそばにある王国です。

若者たちが私と練習するときそれはただ練習しているのではなく王の王からの王統、王権と一緒にトレーニングしているのです。それは単にブラジル柔術、総合格闘技を学んでいるのではなく、王の王についての学びであるということです。

お父様の近くにいた期間、お父様にはその種をもつ子供が多くいますが、お父様を代表するその王統を選んだということが分かります。ルカ10章でイエス様はこういいます。

あなたがたに聞き従う者は、わたしに聞き従うのであり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。そしてわたしを拒む者は、わたしをおつかわしになったかたを拒むのである。
ルカ10:16

すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません
ルカ10:22

若者たちに理解してほしいことは、皆さんは他の指導者について別の格闘技を習うこともできます。しかしそこを通しては真のお父様を知ることはできないということです。王の王と絆を結ぶことができません。キリストに結びつくことができないというのです。

ここは重要です。これからいうことは私を誇るためではありません。皆さんも知っているようにこの位置は私が望んだものではありません。私が願ったわけでも試みたわけでもないのです。お父様御自身が私を選ばれたのです。私が任命したのではありません。お父様が私を任命されたのです。すなわちお父様がこうすることを命じられたのです。

私と訓練することはお父様と訓練することなのです。高ぶってこう言うのではありません。お父様の代身者として、お父様の選びとしてこう言うのです。私が選んだのではありません。国進兄さんは私(亨進ニム)は「黄金製の檻(おり)」の中に住んでいると表現します。王の役割は偉大なものだが実際は檻の中で暮らしているも同然という意味です。だから私はMMAが好きなのでしょうか(笑)。
MMAの試合を黄金の檻の中ですることを想像してみて下さい(笑)。

私が若者たちをトレーニングします。新しい人、あるいは自分の子供をトレーニングしてほしいと世界中から親がやって来ます。それは私が偉大であるからではなくお父様がすでに選ばれた後継者であるからです。私を地上のお父様の代身として選ばれました。その事実から私は逃げることができません。そのようなことをすれば呪いを受けるでしょう。そこら辺にある石も私と家族を呪うことでしょう。これは今まで共に歩んできた皆さんも同意して下さるでしょう。

ルカ10章を見てください。王国がテーマです。

ルカ10章1~12節
10:1その後、主は別に七十二人を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった。 10:2そのとき、彼らに言われた「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。 10:3さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、小羊をおおかみの中に送るようなものである。 10:4財布も袋もくつも持って行くな。だれにも道であいさつするな。 10:5どこかの家にはいったら、まず『平安がこの家にあるように』と言いなさい。 10:6もし平安の子がそこにおれば、あなたがたの祈る平安はその人の上にとどまるであろう。もしそうでなかったら、それはあなたがたの上に帰って来るであろう。 10:7それで、その同じ家に留まっていて、家の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。働き人がその報いを得るのは当然である。家から家へと渡り歩くな。 10:8どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えてくれるなら、前に出されるものを食べなさい。 10:9そして、その町にいる病人をいやしてやり、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。 10:10しかし、どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えない場合には、大通りに出て行って言いなさい、 10:11『わたしたちの足についているこの町のちりも、ぬぐい捨てて行く。しかし、神の国が近づいたことは、承知しているがよい』。 10:12あなたがたに言っておく。その日には、この町よりもソドムの方が耐えやすいであろう。

「子羊をおおかみの中に送るようなものである」この世界に平和をもたらすためには弱ければ不可能です。神様の保護のもとにある子羊は強い羊です。その羊をまもる羊飼いは普通の羊飼いではありません。王が羊飼いだというのです。

黙示録にはその同じ羊の群れがサタンの王国を滅ぼす様子が描かれています。徹底的に滅
ぼすのです。闘志の精神をもった羊です。力強い羊。

「どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えてくれるなら、前に出されるものを食べなさい。そして、その町にいる病人をいやしてやり、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。しかし、どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えない場合には、大通りに出て行って言いなさい、『わたしたちの足についているこの町のちりも、ぬぐい捨てて行く。しかし、神の国が近づいたことは、承知しているがよい』」。

ここで神様と王の王を否定するものに対する警告とそれを受け入れる弟子に対する言葉を見て下さい。どちらに対してもイエス様は「神の国は近づいた」といっています。

否定する者達にも、足のチリをぬぐい捨てながらも「神の国は近づいたことを承知しているがよい」とおっしゃっているのです。

ここは興味深いところです。
否定するものにも受け入れる者にたいしても同じことをおっしゃっています。

若者が受ける訓練が大きな意味があることと関連しています。証をしたひとすべてに共通する言葉がありました。それは「謙遜になる」ということです。現実を離れたところに住むことはできないということです。神様が与えられた十戒も柔術と共通するところがあります。十戒は柔術の達人のようです。

どんなに善人になったと思ったとしても十戒という神様の戒めに照らし合わせる時地獄に行くしかありません。私たちは嘘をつき、盗みを犯し、神様を冒涜しますし淫らな思いで人を見ます。十戒を見るとき神様から遠く離れた自分を見るのです。そこで現実が突きつけられます。

ここで闘士の世界と霊的闘いの世界との共通点が現れます。霊的世界では(サタンという)幻の父が存在します。それは嘘つきで、皆を迷いの中に閉じ込めます。否定的な言葉だけではなくときには肯定的な言葉をもちいて迷わせるというのです。こう考えたことのある人はいますか?

耳に巧みにささやき、嘘で満たし自己崇拝に巧みに導きます。真剣勝負の格闘は霊的真剣勝負に役立つことが多いのです。

スーパーサイヤ人の達人のように強力な十戒のまえでは、いかにもがいても「降参」するほかありません。「降参」です「降参」。十戒の前では私たちの罪が明らかにされ神様からどれほど離れているかが示されるからです。横の人間とくらべて善人だと思っても神様のレベルから程遠いというのです。

つづく

翻訳:サンクチュアリNEWS管理人

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