2016年7月10日「愛の王国」【英語説教日本語訳】その1

 
The Kingdom of Love   July 10  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png
 
翻訳:サンクチュアリNEWS管理人
2016年7月10日

マルコ12章

12:28ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。 12:29イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。 12:30心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 12:31第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。 12:32そこで、この律法学者はイエスに言った、「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。 12:33また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。 12:34イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、「あなたは神の国から遠くない」。それから後は、イエスにあえて問う者はなかった。

この部分は良く引用される有名な部分です。パリサイ人がこういう質問をしてイエス様を試そうとしたのです。

「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」という質問に対して、イエス様はこう答えます。
「第一の戒めは『主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』、主なるあなたの神を愛せよ』」

私たちはこの部分を「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして…」と普通読みますが、聖句に忠実にいうと「すべての心を尽くし、すべての精神を尽くし、すべての思いを尽くし、すべての力を尽くし」と強調されているのです。

そして「自分を愛するように隣り人を愛しなさい」とあります。これに対して律法学者はイエス様の発言を繰り返します。

「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。 12:33また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」

「沈黙を破って」以降、しばらく時事問題を扱っていませんでした。以前は時事問題についてよく話しましたね。しかしここのところ説教では王国の性質としてその政治過程や経済のしくみについて、また社会主義、共産主義、寡頭政治と自由社会の違いについて見てきました。しかしそういう一般的な学びを時事問題と結びつけて考えることが重要です。というのも現在は審判の時でありきわめて深刻な時であるからです。

イエス様がこうしたやり取りをしていた時代もローマが非常に混沌としていた時でした。実際イエス様が来られる44年前にローマは崩れています。(訳注:紀元前44年2月カエサルが終身独裁官に就任するも同年3月15日 元老院派に暗殺される)

そして紀元前27年にはアウグストゥスがローマ皇帝となり地上の神だと宣言します。ローマは共和国として出発しましたが、うめき声をあげながら何百年かけて崩壊の道をたどっていきます。新たな覇権の時代を経て征服の時代、帝政時代と辿っていきます。そのような状況の中でイエス様は語られたということです。

ローマ帝国は決して一枚岩ではありませんでした。最近イエス様を取り上げた「復活(RISEN)」という映画がありましたね。そこにピラトも出てきますす。主人公は確かローマの百人隊長でしたね。戦いに出る前に小さな偶像に祈ったりしていました。古代イスラエルはそういう多神教世界に囲まれていたことを忘れてはなりません。様々な種類の「神」に囲まれていたのです。歴史的にもバビロンの神などがバール神などの形でまだ生き残っていました。子供を犠牲に捧げたり女神を讃美する神殿娼婦がいたりしました。それが当時のローマの現実だったのです。

そこでローマのエリート達はヘラ(ギリシャの女神)や他の女神に香を焚いたり、神殿娼婦と交わったりしていたのです。それを霊的体験と受け止めて「愛の神」に感謝を捧げていたのです。これらが当時のイエス様を囲む現実の環境だったのです。

そのような中でイエス様は「主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である」と言います。イエス様も当時多くの神が存在するという相対主義に直面していたのです。私も神、あなたも神、何の神にだってなれる、そういう世界です。私たちは神学的相対主義が何か新しい思想だと思っていますが、そうではなく古代からあるというのです。
古代の多くの神の概念、異なった様々な基準と道徳観。道徳も相対化されていたのです。神殿娼婦は古代ギリシャでは普通でしたし、教師が若い青年を犯すことも普通に行なわれていました。これが哲学者が若者に教える内容でした。女性は月のものがあるので神殿に入ることができないとされ、ギリシャ・ローマ文化においては男同士の親密な関係がレベルの高いものだと信じられていたのです。

弟子たちと哲学を学び神を学ぶと共に、親密な関係をもつというのです。教師が生徒に知識と知恵を教えると同時に性行為におよぶということです。ギリシャ・ローマ世界ではそれが文化の一部だったのです。それらは社会的に許されていたのです。

ゲイ・同性愛運動が盛んになり、同性婚が合法となり、またトランス・ジェンダーの問題が強力に押し出されました。その後、人種問題に起因する暴動がありました。そして小児性愛。自分たちも同じ人間なのに性的嗜好が特別であるというだけで差別を受けていると主張しています。こういう精神を病んだ人たちが同性愛者が使った同じレトリックを使ってキリスト教徒や良心的な人々を非難しているのです。

そしてまた新しく出てきたのが近親相姦症候群です。里子に出された少女が自分の本当の父親を探し出しそして「恋に落ちる」というのです。そういう近親相姦コミュニティも同性愛者とおなじ理屈を並べるでしょう。

同性愛者が性の区別を解体し道徳を解体しました。ひとたびそれが許されると他のあらゆる狂気が野放しになるということです。獣姦までそうなるでしょう。これはフィクション映画のテーマではありません。私たちの社会で現実に起きていることなのです。これらは決して新しいトレンドでもなければ新しい傾向ではありません。古代ギリシャ・ローマで一般的に行なわれていたことなのです。過去のサタン王国の文化だというのです。

キリスト教がこれらを一掃して、一旦は地下に潜ったのですが再び社会の主流に復活し躍り出て現実の問題として議論されています。

イエス様もそのような道徳相対主義、神学的相対主義、文化的相対主義のなかで、しかもローマ帝政の圧迫を受けるという環境の中で語らざるを得なかったのです。イエス様はユダヤのパリサイ人に迫害されるだけにとどまらずローマのために働くサンヘドリン(ユダヤ最高法院)の裁判官からの迫害も受けたのです。

この状況は現在私たちが置かれた状況と似ています。同性婚はローマ帝国から公認されてはいませんでした。しかしインテリ層の間ではそういうことは普通に行なわれていました。
ちょうど今の大学でフリーセックスが普通に行われているのと同じです。大学に送る親御さんは気をつけて下さい。

そのような背景の中でイエス様は「主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である」と訴えます。つまり順守すべき基準は一つであるというのです。神はただ一つの性質をもち、それに背くものは神が憎むということです。

神はご自身の子供を愛するので、他人の子供を犯すのは神に反することなのです。神が創造された父母からなる家庭を愛されるので、それが侵されることは望まれないのです。夫一人に4人の妻、あるいは80人の妻、あるいは一人の妻に80人の夫、そのようなものを神は願わないというのです。神は同性婚もトランス・ジェンダーの結婚も願いません。

今、72種類のジェンダー(社会的性別)があるといいます。スタートレック(SF・TVドラマ)でもそんなに出てこなかったですよ。狂っています。

イエス様は「神は一つ」といいます。自由社会、天一国憲法の観点から見てこの事実は非常に重要です。それだけでなく「真の父母」というものを理解するにおいても重要だというのです。もし真の父母が一つであり、(真の父と母が)同等の権限を持っているとすれば今起きていること―韓オモニがお父様が「変更してはいけない」と命じたことをことごとく覆していくこと―も正当化できるでしょう。実質的にはオモニの方がお父様よりも大きな権威をもっていることをそれは示しています。

しかし真の家庭やお父様と直接関わったことのある者たちは「お父様が絶対的主体であった」ことを疑うこともできません。真の父母の中心はただ一人であったのです。お父様が中心に位置し、その周りをオモニも他のものたちも回っていたのです。ただ一つの柱、一つの中心というのが重要なのです。なぜならそこから一歩でも外に踏み出す時、相対主義の餌食になるからです。一神教から多神教に踏み出すその瞬間に相対主義者になっているのです。

二神教へと踏み出せば、幾千の多神教へとまたたく間に転がり落ちていくことは避けられないのです。創造主を相対化し主体的相対を相対化することにともなう必然の結果です。

自由社会、天一国憲法の定める社会ではそれ(神の唯一性)が重要です。なぜなら神様が皆さんに与えられた自由と権利、すなわち天一国憲法に描かれる自由と権利は、すべての人間、すべての政府、ありとあらゆるものの上にある主権者である神様、唯一の神、至上のお方より授かったものに他なりません。それは神学でいう「神聖な権利」、自然権と言い換えてもいいでしょう。すなわちその権利はいかなる人間も、いかなる団体、いかなる政府、政治権力も奪うことはできないのです。決して奪うことができません。他の「神」をもってしても奪うことはできないというのです。なぜならそれは「唯一の真の神」、「王の中の王」から与えられたものだからです。

何か新しいことを話していると思うかもしれませんが、天一国憲法の指し示すポイント、お父様が憲法に掲げるべきとされた「神の血統を守ること」「人権」「公金を正しく扱うこと」これらの事項を具体化したにすぎません。

これらはすべて「唯一真の神」を出発点とするものです。「唯一真の神」はご自身がひとたび定めた法、人類に与えた自由の賜物を変更できる同等の権力をもつ対象的相対など持ちません。

「唯一真の神」から離れるときそれがどれほど甚大な結果をもたらすかわかりますか。独裁者が横行するようになるのです。間違いなく独裁者が横行します。そして彼らは自分が「神」であると主張するようになるのです。

「唯一真の神」は天一国憲法の基礎です。天一国国民のすべての自然権の源泉となるのです。これはアメリカ合衆国憲法がユダヤ・キリスト教の伝統にもとづく自然権を定めたことと同様です。「神様のないところに自由はない」と国進兄さんが何度もいうことの意味はここにあります。

考えてみて下さい。99%の人が投票して自由を求めたとしましょう。しかし残りの1%がそれを拒否し、反対するものを殺していくとすればどうなるでしょう。お前たちが平和と自由を求めるならお前たちを殺して自分は独裁者になると言うのです。独裁者は多数決で選ぶ「自由」などに縛られることなどないのです。独裁者は自分で法律をつくることができるからです。このような「独裁者原理」がいつも優位に働くのです。「人間が自分達ですべて決める」というシステムでは必ずといっていいほど独裁者がゲームに勝つのです。

そのようなシステムの社会では51%が賛成すれば「権利」は直ちに消え去るのです。そして独裁者の軍門に下るようになります。論理的で知的にもまっとうな理屈です。

「自由」の源が「超越的なもの」でない限り、独裁者に勝つ術(すべ)はないのです。それは「唯一なる神」、「すべての上にいます神」です。私たちを奴隷にすることを願う独裁者のようなお方ではありません。私たちに「自由と責任」を与え、「人権」を与え、またそれをご自分の憲法に刻もうとされるお方です。そしてその憲法はメシアとその直接の血統圏を通して与えられるのです。
一神教的世界観と多神教的世界観の闘争は現代社会でも形をかえて見ることができます。もちろん現代人はゼウスなどの神々を信仰などしていませんがそれに代わる「神々」を信仰しています。科学技術を利用した「超人間」です。スーパーロボットや脳内の働きをただちにデジタルに反応させる技術などを用いて壁の向こうを透視できるような超人間をつくり出そうとしいます。数カ月前に、たっぷり白いひげをたくわえた科学者が「われわれが神になる。誰もそれを止めることはできない」と豪語している映像をここで見ましたね。

新しい「神々」を信仰しているのです。それはゼウスやアテネ、アフロディーテなどではなく現代風の「神々」です。しかしその目的、行きつく先においては古代と何の変りもありません。それは何かというと「自己崇拝」に尽きます。自己の快楽、自分のために生きるという精神です。

現代にみられる状況と同じような立場でイエス様も闘っておれれます。「心を尽くし、思いを尽くして、あなたの主なる神を愛しなさい」と言われました。それができるようになるためには自分の個人的な好き嫌いを乗り越えなければなりません。いつでも一緒にいてロマンチックに慰めたり励ましたりしてくれる神様を信仰したいというのならそれは神様ではありません、むしろ子犬を飼う方がいいでしょう。

神様をそのまま受け入れなければなりません。宇宙の創造者であり、あなたの人権の創造者です。そのお方をありのまま受け止めなければならないというのです。神様が物理法則、数学の定理などのすべての法則、宇宙の構造を創造されたのです。神様が決めたことを人が変更することなどできないのです。

現代には神を求めると言いながら「魔法のランプ」のような神を探しているひとがいます。それでは真実なる神様と関わるとは言えません。真の神様との関わりとは自己を再創造し、ときには痛みを伴う形で自己を成長させ強化する、そのようなものなのです。そういう過程を通して神様はあなたが想像もしなかったような人間に作り上げて下さるのです。私たちは自己の思いを滅却して、神様を受け入れなければなりません。

天一国憲法においてもこのことは非常に重要です。アメリカの愛国者がどれほど合衆国憲法を愛したでしょうか。彼らはアメリカ人であることを誇りに感じるとともに憲法を愛したのです。ジョージ・ワシントンやトーマス・ジェファソン、ジェームズ・マディソンなど知らない人たちも、独立当時よりも目減りしているとはいえ、これほどの自由を与えてくれるアメリカの憲法に感謝しているのです。

天一国憲法も同じような愛国者をもっともっと多く生み出すことでしょう。アメリカとは比較にならないほど多くの中産階級を生みだすはずです。アメリカには40%から45%の中産階級が存在します。たいへん大きな割合です。普通の人が家を持ち車も2台持っています。他の国からやってきた人々はアメリカ人の生活レベルの高さに驚くのです。

天一国憲法のもとでは60%は中産階級になることでしょう。分権化が大規模に行われ、修正条項もつくることができない天一国憲法では溢れる自由と規制の廃止。実際毎年、10%の法律が効力を失います。ビジネスを起こしたことのある人は体験していると思いますが、アメリカでは規制が多く束のような書類を提出しなければならないのです。年間4万枚の書類に目を通さなければなりません。これは弁護士やコンサルタントを雇う余裕のない中小企業を潰そうという謀略です。

天一国のシステムは異なります。三権分立ではなく五権分立です。またメディアは企業の所有とはなりません。ですからアメリカでいま行われているような5つの巨大メディアが情報を独占し操作するようなことは起こり得ません。

天一国の7つ目の抑止力は「自然権」です。「自然権」の考え方は神様に由来します。市民の権利は神によって与えられたという考え方です。その中には王の持つような権利、すなわち「私有財産に対する権利」「私有財産を守る権利」「武器を所有する権利」「個人の所有物を押収されない権利」などが含まれます。

このシステムの下で大きな豊かさを享受することが可能です。しかしそこに大きな責任も生じます。国の制度としての社会福祉は法律で禁じられているのです。福祉は個人レベルで、教会や皆さんのような善良な人たちによって実践されるべきものなのです。
 
 

つづく
 
 
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