2016年6月26日亨進ニム説教 【英語説教日本語訳】(その2)

 
Sunday Service   June 26th  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo

 
今から視聴するティモシー・ケラー牧師のビデオは弁証学の入門としていつも私が見せるものです。ここで神様の存在を前提とする世界観をいくつかケラー牧師は提示しています。今日はそのさわりだけをお見せします。また明日詳しいビデオをお見せすることになるでしょう。

このビデオも神様が存在するか否か、真剣に考えている人に有益な論議を提供することでしょう。自分は不可知論者だし神様はいないのでは…という人も自分の考えが論理的であるかどうか検証するきっかけとなるでしょう。ともかく有神論者の議論を真剣に聞いたことがあるのかというのです。

ケラー牧師は人が自分の世界観を決める際、三つのものを基準とするといいます。

その一つはその内容が十分知的であるか、合理的な根拠に基づいているかということ。

二つ目は個人的理由です。知的な理由とは別にあくまでも個人的な体験にもとづいて神様を信じるというものです。無神論者もある個人的体験があって無神論者になるということもあるでしょう。子供の頃ある教会に腹を立てたとか、ある牧師がどうしたこうしたというようなものです。

そして三番目は社会学的理由にもとづくものです。自分が所属したいと思うグループのもつ世界観には極めて同調しやすいものです。親元を離れて大学に進学し、都会に出てきた。都会の連中は神様なんて信じない。ここの皆と楽しくやろう。こういう調子です。

こうして新しいグループに入るとき、その社会は以前所属したものとは全く違った考えを持っているかも知れません。そこで自分の考え方がまた新たに形成されるかもしれないというのです。そのグループに適応したいがゆえに社会文化的に世界観が変えられるのです。

それが無神論であれ有神論であれ世界観を獲得するには、以上述べたような合理的根拠、個人的体験、社会的要因の三つのきっかけがあるというのです。これをあらかじめ知っておくことが重要です。

「宗教を信じる人は周りの影響や圧力を受けてそんなものを信じるのであって、われわれ無神論者はもっと自由な人間で周りから影響など受けない」

このような発言はまったく馬鹿げています。無神論を選ぶ人は大抵大学教育や大学生活という社会文化的影響という要因が極めて強いのです。

宗教を信じる人は個人的体験や社会文化的影響が大きい一方で無神論者は知的で合理的根拠にもとづく-という意見は合理的ではなく社会的にも個人レベルでも不誠実な物言いです。その主張は欺瞞(ぎまん)です。

いかなる世界観、「思考の枠組み」も必ずこれらの三つの根拠に応じて獲得されるほかありません。以上のことを頭に入れてこれからビデオを視聴しましょう。

 


☟より鮮明な音声でお聞きになりたい方は下の再生ボタンをクリックして下さい☟

 
つづく
 
(このケラー師による講義内容の日本語訳も近いうちに出す予定です:管理人)
 
 
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