説教「自然の王国」要約版 下

2016年5月22日、二代王の説教「自然の王国」の要約版です。

後半では天一国の仕組みがマタイ21章の聖句を読み解く形で解説されます。政府(一部のエリート)が人間的知恵の産物に過ぎない「政策」をもって国のダイナミックな経済活動に介入することを排除し、あくまで神の子たちの自由な経済活動がマクロの次元で最良である(見えざる神の手が働く)という古典的経済自由主義に近い天一国の経済理論が展開されます。個人レベルでは机上の理論の習得よりも一人で、家族単位で生き抜くことのできる実学を身に付けることの必要性と重要性が説かれています。

Kingdom Nature   May 22  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo

Kingdom Nature 自然の王国 5月22日 2016 【要約版下】

マタイ21章

21:28あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。 21:29すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。 21:30また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。 21:31このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。」

パリサイ人がイエス様を問い詰めようと迫っているところです。パリサイ人は、同意したが働かなかった息子と最初、拒否したが働きにでた息子、どちらが父の心にかなうか、というイエス様の問いにたいして「あとの者です」と答えます。普通はこう答えますよね。皆さんもこう答えるでしょう。最初ぼやきはしたがとにかく仕事をこなした。イエス様はそれに対して、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる」と答えられました。

これは一体どういうことでしょうか。理解に苦しむところです。イエス様が正しいとしたものは実は前者(行くと答えたが、行かなかった息子)だったということです。

キリスト教世界では2000年間この聖句の解釈で混乱してきました。

この聖句を天一国憲法の観点からみていくことにしましょう。イエス様は国家レベルで語っておられるので国家レベルの話をしましょう。登場する「息子」を「国家」と読みかえます。

「ぶどう園」は経済を象徴しているとみなしていいでしょう。
弟は「いやです」と答え、考えを変えて「ぶどう園」で仕事をします。しかし兄は「わかりました」と答えながら「ぶどう園」で仕事をしませんでした。

「ぶどう園」では畑で「ぶどう」だけが育つようにする、つまり草を取り除き、その他の野草を取り除いて「ぶどう」が畑を独占することを進めていくのではないですか。正しいですか、正しくないですか。競争を排除することです。

ですから息子つまり国が経済に介入して独占を認めるということ、これがすべての知識人がよいと認めることだというのです。

いわゆる知識層と呼ばれる人々は市場経済に介入することに大きな関心を持っています。市場は野放図で無秩序、放っておくと独占が起きるなどと考えているのです。問題はそのような計画経済、経済政策の行きつくところは彼ら自身が「独占者」になるということです。彼らが「独占者」となって市民活動のすべてに規制の網を張りめぐらせて市民を窒息させるのです。

それらは結局、王国を破壊することになるのです。
「何もしない王こそ、最高の治世をほどこす王である」これは老子道徳経にあることばです。国民の生活に介入しない王が良いというのです。それが最良の治世をほどこすことになるというのです。4000年前の文書です。

ではもう一人の息子、国はどうしたのでしょう。「ぶどう園」に行きますと答えて何もしない、介入しないということです。もちろん個人レベルで考えればぶどうを育てるためにはいろいろと畑に手を入れなければなりませんがここでは国家レベルで考えて下さい。

市場にまかせること、国がいたずらに介入しないことこそ価格が安定し生産が伸び、最高の技術革新を招き経済の繁栄を達成する手立てなのです。ですから国家レベルにおいて、「気が進まないけれど、ここは市場に介入しよう」という者たちこそ経済システムを破壊に導くのです。逆に「経済分野は何とかしてみましょう。しかし市場に介入することはしません」という者達こそ市場を機能させ、経済を良くし、生産、労働においても事態を好転させるのです。そして人々は自由と責任にもとづいて選択の自由を行使して経済が自律的にまわるようになるのです。このような考え方は常識を裏返したもののように思えるでしょう。なぜならいつも個人レベルで物事を解釈するからです。

中央主導の市場介入型の経済システムを採用する国は、「ぶどう園」に入り込んで「働く」がゆえに例外なくその国の経済システム、エコシステムを破壊してしまいます。だからいま私とグレッグさんは2人で別の農業の方法を研究しています。パーマカルチャーというものです。そこでは植物間の生態系を利用して自然と共生していきます。すべてが自然のままに野生を保ちながらも互いに連携し合う世界です。余計な介入なしに自然のままに育ち実ります。そして一種類の作物を栽培するやり方の数倍の成果を得ることができます。それがパーマカルチャ―といわれるものです。聞いたことのある人はいますか。こうしたものが大きな違いを生みだします。

この考え方は天一国にとっても重要です。天一国は自然の王国として存在します。自然の特性をよく理解することです。パーマカルチャーがそのよい例です。是非学んでみて下さい。生態系の何たるかを教えてくれます。こういうことについて私の息子、お父様が三代王に指名された息子と話をしたのです。その原則を息子に教えました。そうすることで、最高の王になるには介入を最小限に抑えるのがよいのだな、と悟ってくれるでしょう。これが天一国憲法の中でも重要な部分です。

息子を国と読みかえ、ぶどう園を経済社会と読みかえるときイエス様がなぜ二番目の息子が天国に入るといったのかが分かるのです。個人的に見るときこの息子は怠惰で愚かに見えるかも知れませんが、王が持たなければならない心構えなのです。自由な交わり、自由な社会に介入しないことが大切です。人々を強制するのではなく良心の決断にゆだねるのです。善悪の判断を強制ではなく良心に求めるのです。善を成せば善は自分に戻ってくるからです。

マタイ21章

21:33~21:43それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。

天国は王、つまりキリストの共同相続者たちのものです。キリストと共に治めるのです。サタン世界では王様のみが持つことを許された主権をそこではすべての国民がもつことになります。税を課されない権利、自衛権、武器を所持する権利、これらは王の特権であって市民の権利ではなかったのです。天一国ではこれが逆転します。国民が王の権利をすべてもつのです。王の王はメシアに連なる者であり、そこで天一国憲法が生まれました。そこが権利の始点になります。そこに実質的につながることが権利の源泉になります。王の王は王権のラインですが国民を支配する軍隊、マフィアのように国民を痛めつける中央警察などをもつものではありません。王国の原則に従わなければならないのです。そして国民を天につなげる位置に立っているのです。

イエス様はパリサイ人にこういいます-「神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう」。ユダヤ人の中でも最も熱心な信仰者であるパリサイ人から神の国が取り上げられるといっているのです。常に律法を学び、敬拝をしたり祈ったり悔い改めをしているのがパリサイ人です。その彼らから天国はとりあげられ実を結ぶ異邦人に与えられるとあります。

天一国は生産者の国であると何度もいいました。物作りを学ぶことが重要です。自分で自分を養うことのできるスキルを身に付けるのです。そして子供たちにエコシステム、パーマカルチャー、アクアポニックス(さかな畑)などを学ぶよう奨励することです。大工仕事、電気の配線など自立して生きるための手立てを学び、外部のシステムや技術者に頼らなくても良いようにするのです。どこに行こうとも、食べ物から住むところまで調達できれば自由に生きることができます。こういうことは現在のアメリカや西欧の教育にはありません。原始の人々はわれわれよりずっとそういう知識をもっていました。熊本では水道が止まってしまいました。さあどうしますか。電気もこない。昔の人はそれが普通ですから全く問題ないのです。

自然界を理解し、おそれなく自然と関わることができる知識から遠く離れてしまいました。

ぶどう園をめぐってまた別のたとえ話がありました。作ったぶどう園を農夫に貸し出す話です。天一国憲法では国々は自由に交わり、同盟することが認められています。共産主義国家でもいいのです。それらが一緒になって交易することができます。中国銀行のようなものが来てビジネスをしても構いません。この聖句にある貸し出された農夫と同じです。

しかしその農夫が「ここはもうわれわれのものだ」などといい出すようになるといけません。オーナーから送られた息子を殺すようになってはいけないというのです。「ここはわれわれのものだ」、こういいだすことは許されないのです。外国の機関、企業が天一国で経済活動して自ら養うことは自由です。しかしこれが「ここはわれわれの管轄だから中国国内法を適用する」などといい出すことを許しません。「さあ、われわれの都合のいいように天一国憲法を変えよう」などといい出すことを許さないのです。そうなれば強制的に取り上げて天一国に編入します。

このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。 21:41彼らはイエスに言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。

天一国憲法ではまた戦争を始める時の規定があるます。他国に天一国の一部が侵略された時、天一国議会は武力行使を取るべきか否かを検討します。すべての国にこの種の規定があります。地域に限定される場合は「いまわしい者」をそれに見合う結末を迎えさせる方法を地域の管轄で判断します。一方国家間の外交レベルでもそのレベルに応じてこのような「よこしまな農夫たち」に対処する相応の対応策が憲法で規定されています。

来るべき神の国の預言の完成体となるべき天一国憲法の観点から見るとき、聖句の意味が明らかになるのです。現代キリスト教では聖句に対するこういう分析がなされているとは思いません。それはまだ天一国憲法が公に出回っていないからです。一度これに触れると、神様の霊を受け啓示としてイエス様が神の国の内容として語った聖句の意味がわかるのです。これまでその意味が分かりませんでした。

これは私たちの共同体にとっても大切なことです、とくに資産を所有する場合にはそうでしょう。社会主義のように共同管理の土地などのようなものはありません。ニューエイジ・コミュニティー運動などというものがありましたが、共産主義そのものです。それを人々に広めようとしているのです。地獄で暮らすようなものです。

私たちはそれに対して、コミュニティーのメンバーには個人でもオーナーになることを勧めています。自由に活動し合うオーナーです。世代を通して独立した者同士がともに相互協力し合いながら、しかし依存はしない。天一国の憲法の観点からイエス様の聖句をよむことの重要性はここにあります。このような観点で読むとき天一国が逆転の王国であることがはっきりわかるのです。普通に考えていたらこれはわかりません。国家レベルの話として聖句をとらえてみるときよく理解できるのです。

今、若者たちに格闘技のトレーニングを盛んにおこなっていますが、将来的にはブッシュクラフトなども礼拝後の適当な時間におこなっていきたいと思っています。自主独立のためのこうしたスキルを身につけたい人はここに来れば、多くの経験豊かな人々から学ぶことができるでしょう。自分を高める努力をしてください。ビデオゲームや韓流ドラマ、こういう麻薬のようなものはうち捨てて下さい。

ますます知識を高め、自己を啓発しましょう。他を助け、家族を助け来るべき天一国の主人になりましょう。

天聖経674(英語版)

イエス様が願った天国が心の天国ならば、心の天国を越えて環境の天国を築くということは永遠に不可能なのです。家庭天国を越えて、社会天国を築き、国家天国を築くというのは永遠に不可能です。世界天国はいつ成されて、天上天国はいつ成し遂げられるのでしょうか。メシヤには、万民を救い、霊界を解放して、神様を解放させるべき責任があるのです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

説教「自然の王国」要約版 下」への6件のフィードバック

  1. miya の発言:

    日本語・口語訳聖書(日本聖書協会・1955年版)のマタイ伝21章28~31節は、兄と弟の言動を入れ換えるという、あってはならない人為的修正が加えられています。それとは知らず、この日本語(口語訳)聖書を引用し、まさか聖書に間違いなどあるはずがないと思っている(思い込んでいる)食口たちが、亨進様のこの説教を読んでいくと、どうも兄と弟の説明がこんがらがってしまう、という混乱が生じてしまいます。それでOCEANUSさんは、再度、修正を加えられた―というより簡略化してわかり易くされた―ようですが、それでも、この聖句に対する亨進様の説明の最後のところに出てくる文章―「…イエス様がなぜ二番目の息子が天国に入ると言ったのかが分かるのです。」はまだ修正されていません。この混乱の問題は、翻訳の問題というより、日本語・口語訳聖書そのものにあります。異邦国日本の犯した罪と言うべきものだと思います。ちなみに、その後出版された共同訳聖書、新共同約聖書は英語聖書(もしくは原典聖書)のままに兄と弟の言動を戻しています。来年9月には、ルターの宗教改革500年目にあたり、新たな改訳聖書が出版されるようです。日本人食口はそろそろ聖書そのものを見直す時期に来ているように思います。

    いいね

  2. キン斗雲 の発言:

    奇跡のリンゴという本を思い出しました。
    雑草や虫とうまく共生させることで、立派なリンゴを実らせる実話です。

    いいね

  3. miya の発言:

    木村秋則さんのことですね。あの本、わたしも読みました。農薬や化学肥料によって自然の「生態系」を破壊し、そのツケは公害となって人間まで破壊してしまう、戦後の経済政策優先の農業政策は間違っていました。大学時代、生態学や昆虫学を志した、若き日の悩みを思い起こします。木村さんの農業は本来の農業ですが、国にとっては「敵」、歓迎されない人です。御用学者たちは、木村さんを今もなお攻撃し、批判していますね。お父様、亨進様と重なります。

    いいね: 1人

  4. キン斗雲 の発言:

    oceanusさん
    miyaさん

    ご返答ありがとうございます。
    農薬を使えば自然をコントロールして楽ができます。
    でもそれは、神が創造した自然本来の力を削いでいるのかもしれません。

    亨進様の言われることは、単に何もしないではなく、人間が(社会や自然を)無理にコントロールしないことかもしれませんね。より高い次元での調和でしょうか。

    軌跡のリンゴの木村秋則さんは、自然本来の力を信じたからできたのだと思います。
    私たちは、亨進様と共に、さらにその上にある神様の力を信じています。

    いいね: 1人

コメントを残す