「御国が来ますように」3月20日説教(その4)【英語説教日本語訳】

Thy Kingdom Come   Mar. 20  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Sanctuary Church Newfoundland PA on Vimeo.png

天一国にも政府は存在するでしょう。その政府は大きな政府ではありません。もちろんローマ帝国のように厳格な中央集権政府でもありません。

とにかくイエス様はこの百卒長に対して「イスラエル人の中にもあなたのような信仰者はいない」と絶賛しました。「あなたは私をよく理解している」とイエス様は言いたかったのでしょう。

ただ人の病を癒す方、預言者、イナゴと野蜜で暮らす洗礼ヨハネのような宗教者、霊的力で人を驚かせる者、それが自身の本質ではなく、自分が王であることをよく見抜いたと称賛したかったのでしょう。

あなたはローマにおける(百卒長としての)権限をよくわきまえると同時に私の王としての権限を見事に理解したと褒めたのです。そして百卒長を褒めた後次のように言われます。

「なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。(マタイ8:11-12)

これは一体どういう意味でしょう。
もしあなたがこの世のあらゆる法制度が廃止され、天からディズニーランドのような神の国が降りてくるなどと夢想しているならこの聖句を解釈することができません。

ソクラテス、プラトン、アリストテレスは国の政体について研究しましたが、ソクラテスは国家は三世代で滅亡すると言っています。

第一世代は開拓者です。勤勉に働きながら、時に重労働にも耐えて国の基盤を造ります。その上で次の世代は比較的豊かになった環境で過ごすことができるようになります。そして医者、弁護士、大学教授になったりして功労ある先祖の記念碑を建てるのです。さて、3世代目に至るとどうなるでしょう。

三代目は生まれたときから豊かで裕福なのです。そして退廃的になっていきます。生まれたときから見ている建造物が第一世代が額に汗して築いたものであることを想像できません。そして政府からは無償の給付を求めるようになります。生まれたときから豊かさを与えられているからです。この無気力、退廃によって国は傾き始めます。このように三世代で国は滅びに向かうというのです。この世代は勤勉に働くことを知らず豊かさに慣れているがゆえに退廃的になります。そして国は道徳的、構造的、社会的、あらゆる面で崩れていくのです。

この世界がこういう傾向を今でも持っていることを考える時、イエス様の聖句の意味が理解できます。

王国においても最大の脅威は新しい世代なのです。なぜなら豊かさの中で育つと退廃的になりがちだからです。アメリカも世代を経るごとに退廃的になってきているでしょう。

これは深刻な脅威です。歴史上あらわれた共和国、民主主義国家のすべてが社会主義に堕落していきました。あらゆるものが楽して手に入る、無償で給付されるそういう環境で暮らしてきた人々はマルクス主義、社会主義、共産主義に惹きつけられるのです。そして最終的に文明の崩壊を招くのです。

王国でも起こりうることです。新しい世代は自由のために闘った経験がないからです。闘って自分の現在の生活環境を得たわけではではないからです。

自由と責任の観点から王国について考える時、エデンの園で神様が与えられた法はただ一つでした。一つの法でアメリカが運営されることを想像できますか。アメリカには相当な数の法律があるでしょう。かつて成長期で勢いのあるアメリカ、道徳的で信仰的だったころのアメリカにはもっと法律は少なかったのです。そして隣人への奉仕、生徒や患者や顧客などに真心もって仕えることが重んじられていました。そのような基盤の上にアメリカは築かれていたのです。

王国もこの問題に対処しなければなりません。その意味でも天一国憲法が重要だというのです。地方で起こった問題は基本的に地方で解決しなければなりません。教育も国が管理しません。社会主義国のように中央で教育を管理することなどないのです。

地方の共同体はその地方の子供たちの教育に責任と自由をもつのです。そして道徳を重んじ、神様を愛する勤勉で隣人によく仕える、名誉を重んじる人間に育てるのです。

神の国ではこの新しい世代の教育の問題は各地域が責任を持たなければなりません。
たとえば甘やかされて育った肩書のある若者が社会主義、共産主義といった偽りのイデオロギーを信奉するようになったとしましょう。
そして革命を起こし、無政府状態を作り出そうとしたとします。現実社会では起こりがちなことです。そういう時も地域の共同体が対処するのです。国家レベルで関与しません。共同体レベルで若者たちと対話を重ねるのです。暴力を伴うことになればやはり地域レベルで対処します。

そういうことになれば「この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」この聖句が実現するのです。子供たちは福祉、つまり無償給付のない社会から出て行かざるを得ないのです。政府から何も降ってはきません。それらは王国では違法です。禁じられているのです。許されていません。
自分が蒔いたものを収穫するのです。日々の労働によって獲得するのです。

このように天一国の観点で見る時、子供に天一国の価値を教えることも責任の一つであるということです。賢く誠実な子供に育てることも責任だというのです。もちろん人間はそれぞれ完璧ではありません。だからイエス様も罪を侵す者達よりも宗教人のほうに手を焼いたでしょう。みんな罪人です。

道徳を追求するということは罪を犯したときはそれを認め悔い改めることです。善を追求し善の主人である神様を追い求めるのです。

宗教を追い求めるのではありません。神様との関係性を求めるのです。自分が暮らす神の国を追い求めるのです。

神の国は地上の王国です。それは国進兄さんがいうようにある種のライフスタイルです。自主独立、自衛、勤勉、名誉を重んじること、これらが神の国に欠かせません。

ここでビデオを見ましょう。


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