亨進ニム・インタビュー(第8章) アメリカと天一国建設

Hyung Jin Nim the Untold Story on Vimeo.png
Interview with Hyung Jin Nim – The Untold Story

下の8つの章から構成されています。
Chapter 2- お父様のお側で過ごした2年間
Chapter 3- アメリカで過ごした子供時代
Chapter 4- お母様とアジアの摂理への願い
Chapter 5- 天正宮建設後のお母様
Chapter 6- 2015年まで沈黙を守った理由
Chapter 7- ペンシルバニアの荒野(ミドバ―)で学んだこと
Chapter 8- アメリカと天一国建設

 

 第8章 アメリカと天一国建設

 

神様が私たちを韓国や日本ではなくここに連れてきたのは、アメリカに自由がまだ残っているからだと思います。例えば私は若いときに銃を所有していました。兄たちがそうだったので同調圧力があり、男として受け入れられるためにはそうしなければならないといったようなことがありました。しかし、最終的に私はやめてしまったのです。

仏教を追い求めるようになり、非暴力主義者になりました。暴力的な格闘技を捨てて瞑想を学び、菜食主義者になり、まったく正反対の道へ行ったのです。最終的に私は仏教から多くのことを学びましたが、それについてはあまり大っぴらにしてしていませんでした。人の心を理解すること、心理学、といったような点に関して。しかし、仏教を離れるきっかけとなったことの一つは、世捨て人のような社会から隔絶した存在になってしまうことでした。それで、仏教国や非暴力主義者を見てみると、ほとんどが共産主義者なのです。ダライ・ラマは勇敢な人ですが、チベットの歴史でさえ、特権階級のエリート僧侶、聖職者による完全な中央集権なのです。また、チベットの歴史には僧侶階級の性的スキャンダルもあります。カトリックにも小児性愛の不品行がありますが、チベット仏教の歴史にもあります。

仏教の作り上げた社会の基本を見たときに・・・なぜなら、私は個人的にも修行して、自分の人生の目的全体を仏教に注ぎ込んでいましたので、それで自分の心の中を理解することができるようになるのですが、あくまでも個人としてです。しかしそれが社会のレベルに拡大されていくと、何が起こるでしょうか?それはあなたのための社会を作りません。人々のためではないのです。仏教が追及するのは解放です。ヒンズー教も、ヨガもそうです。しかし彼らが作った社会はどうでしょうか?自由ではないのです。全体主義になりました。また、君主主義になりました。自由を土台としたものでなく、中央集権化した君主主義です。世界の実際の歴史を見ると、実際に立憲君主制や立憲民主主義は自由を生み出す母体となっています。

カトリックはファシズムを直接サポートし、ドイツではナチをサポートしました。時の独裁者をサポートしてきました。なぜなら彼ら自身が階級組織だからです。分権化した地方の政府の出現が見られたのは、プロテスタントのキリスト教だけでした。なぜならそれがプロテスタントの本質だからです。それは分権化し、地方化した宗教なのです。階級組織がないのです。信仰も分権化しています。神に対する自分の信仰が問題です。メソジストだとかバプテストだとか何か一つに縛られず、みんな信仰でつながっているのです。組織によってではありません。

それで、分権化した立場から超越して私たちがつながることができる、こういった分権化した宗教、分権化した信念が、アメリカの憲法を作ったものだったのです。自由は神様から直接来るので、自由を得るために一つの政府を成し遂げる必要はないという考えなのです。そして、それが現代の世界での自由の本当の始まりだったのです。アメリカで始まり、皮肉にもヨーロッパへと逆に伝わり、そしてオーストラリアなど世界に広がっていきました。 では、どんな神学的、宗教が始めたかというと、イスラム教、仏教、カトリックは自由を作ることができなかったのでだめでしたが、プロテスタントのキリスト教からスタートしたというのです。

私はプロテスタントが嫌いでした。なぜなら、私は反プロテスタントのリベラルな文化で育ったからです。 今はもうわかっています。リベラルな文化というのは共産主義の文化です。中央集権の権力を信じ、中央集権の政府を信じ、中央集権の教育、中央集権の財政、中央集権の銀行、全部中央集権です。西洋で拡大しているリベラルな文化というのは、単に共産主義の文化なのです。それらはマルクスの計画と一致しています。マルクス主義者、社会主義者、フェミニスト、どんな名前をつけてもやはり社会主義者なのです。 私は今になって、なぜ彼らがプロテスタントを、カトリックよりも、イスラム教よりも、仏教よりも嫌うのか分かりました。なぜなら、プロテスタントは本質的に中央集権の権力に対して抵抗してきたからです。彼らを抑えるのが難しいのです。本質的に中央集権に抵抗しているのです。こういうわけで、リベラルな文化がプロテスタントを嫌い、悪者扱いするのを見るのです。それが自由の、分権化した自由の基礎であったというのにです。

それで、お父様が私たちをここに帰らせた理由というのは、ここでもう一度、根を見つけることができるからだと思います。最初、私は奮起させられたのです。それは、男として自己防衛ができ、銃を持つことができ、そういうタイプの格闘技を学べる自由があるのです。伝統的な格闘技や素手の戦いではなく、最も危険なタイプの格闘技を男として学べる自由があるのです。お父様が平和警察、平和市民軍と呼ばれたものの力を持つことができる自由。天一国の主人である自由な男性と女性は、万物を主管するために、捕食者、野生動物、荒野を恐れないようにするために、力と権利を持ちます。その力を与えるのは、自己防衛を学ぶことなのです。

ここを出るとセキュリティチームはいませんので、自分の家も守らなければなりません。生まれて初めてのことですが、しなければならないのです。私がセキュリティであり、警察・・・というよりもこの場所の保護者なのです。誰かが家を襲ってきたら私が戦います。女性はこういうことは対処できない、とだれかに言われて決めつけられた不安を克服するために、私は妻に力を与え、娘に力を与え、家にいる女性に力を与えることができます。それを克服するために銃を学び、棒やナイフを使った戦い方を学び、柔術を学ぶのです。こういったこ とは危険なことですが、そういった技術を学んで理解するのです。それが力を与えるのです。そして、今の世界でそういったことが本当にできるのはアメリカだけなのです。他の国は非常に中央集権化されてしまいました。だから、全体主義者たちはアメリカに集中してその残ったものを壊そうとしているのです。

ですからそれが天一国でとても重要なのです。天一国において、自己防衛の権利は神様が与えた基本的な権利なのです。 ハンティングの場合に限らず、政府が非常に腐敗して悪くなり、天一国の原理から大きくそれてとても離れてしまう場合にも、人々が政府とその独占的な武力に対して反乱を起こすことのできる力と手段、そして火力を持つのです。人々は暴力を使ってでも取り戻す力も持つのです。神様がその権利を与えます。ですから神の国、天一国ではそれが欠かせないものなのです。そういうわけでお父様は、自由な人間となる姿を受け入れてくださるために私たちをアメリカに戻したのです。王国において平和警察、平和市民軍の人間になるという責任。兄弟を守り、隣人を守り、共同体を守るために。すべての市民がその権利と義務を持ちます。自由に対する力を子供たちに与えるために。

私は、長い間、非暴力主義者だったので、憲法修正第2条(人民の武装権)の価値がわかりませんでした。自由の力関係を、自由の社会学を、そして、自由の政治体制を、共産主義と比較して理解するまではわからなかったのです。それには、深い理解と教育が必要でした。今はもう十分に教育を受けましたので、それらの違いがわかります。私がここにいることは、天から与えられたものだと思います。おそらくアメリカだからできるのです。真の自由という観点では、世界中のどこよりも高いのです。

日本語訳はCyberサンクチュアリ人協会HPより引用

 
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