1月24日 ヨナニムの証 【日本語訳】

 

ヨナニムの証 2016年1月24日

皆さん、こんにちは。

昨日雪がすごかったので、今日ここに来られるときトラブルが無かったことを願います。
教会にくるとき逆さにひっくり返っている車を見たので、思わず祈りました。今日こちらに来るときに何かあった方のためにお祈りします。

今日は主人が讃美礼拝について証をしなさいということで少しお話ししたいと思います。亨進ニムの(説教の)前に証をするのはいつもと手順が違いますが…。

なぜ気分が悪い時でも讃美礼拝をするべきか、ということについての小さな証です。

私たち家族がペンシルベニアにやってきた時、私の人生で最低の状況を味わっていました。
「私たちを理解するものは誰もいない」「韓国から完全に放り出されてしまった」「知り合いもいない」「人は私たちを悪く言い、私たちは罠にかかった」

最低の状況にいたダビデの心境でした。地位を失い、妻を失い、洞窟に潜む。そして刺客に常に命を狙われる。時には命を守るために狂人の振りまでしなければならない。私も最低の心境を味わいました。

それでも5人の子供の世話をすることで猛烈に忙しかったのです。学校に行かせて、お弁当を作ったり…。

そうするうちにもっともっと深く沈みこんでしまいました。どんどん否定的になっていったのです。「もうこれ以上耐えられない」あるとき思いました。もう降参でした。私の力ではこの試練を超えることはできない。でも一つだけ超えることができる力があることを知っていました。神様なら超えられる、キリストなら超えることができる、そう思いました。

お父様にただ頼りました。でも具体的にどう頼ればいいのか。母親、妻の仕事を放棄して一日中祈ればいいのか。なにをしている時でも、たとえば車を運転するときも、食器を洗っている時も、洗濯をする時にも、できることがある。それは神様を讃美することだと気づきました。

だからそうすることに決めました。文字通りどんな時でもです。そこで私のお気に入りの讃美歌の歌詞をプリントアウトして、キッチンや洗濯場の壁に貼り付けました。

世界の終わりのような思いの中、否定的な気分になる時はいつでも讃美歌を歌いました。自分の悲しみと主のよろこびを交換したのです。

いまは最低の環境だけれど、必ず朝は来る。そのときには主の栄光を讃えよう。そうやって生活を送りました。

今から何週間か前、家族礼拝で子供たちもいる時、9歳と11歳の息子が私の両側に立っていたのですが、私の気持ちが讃美に入り込んでいる時、しょっちゅう私をこづいて「母さん、いつ終わるの?」と尋ねるのです。「母さん、あの人、可笑しい」などなどと。その真後ろにロバートがいたのです(笑)。

私の置かれた状況を想像してみてください。両脇にぐずる二人の息子、そして後ろから聞こえてくるロバートの歌(笑)。もう讃美どころではありません。

それでも讃美を続けました。たとえ私がその気でなくても、神様との関係を決めるのは私の気分や私の置かれた環境などではないのです。

神様のみ言が素晴らしく、その愛が素晴らしく、神様ご自身が素晴らしいお方なのです。だから讃美するのです。

私はガラスのような人間です。外から中が丸見え、というタイプなのです。上手く隠すことができません。ですから「神様が私にこう話された」などということができない人です。私にとって違和感があります。あまりに多くの人が間違って用いています。この言葉を使って自分を正当化しています。

(亨進ニムの)説教で悟ったのですが、「神様の言葉を聞く」ということは決して自己肥大化に通じるものではなく、自分を謙遜にしてくれる、より良き自分に変えてくれるものなのだ、そう思いました。

誰も自分の自己中心、エゴを指摘してくれないときにも、神様が良心を通して教えて下さる。

考えてみてください。私たちが本当に神様の息子、娘、キリストの花嫁であるとするなら、誰か霊媒を通さなければ神様の御声を聞くことができないでしょうか。どこか特別な場所に行かなければならないでしょうか。

実は私も神様の言葉を聞きました。私をへりくだらせ、愛を与えて下さる言葉です。それがどれほどワクワクするものかわかりますか?

ある晩、夜中の3時でした。目覚めて眠れなくなりました。そして神様の声を聴きました。

「クロゼットをみて見なさい。どれほど片付いていないか。」

私もそれを知っていたので、「片付けます」と祈りました。

すると、「あなたの霊的生活はどうか。それも片付いていないのか。それを整理しなさい。霊的生活をクロゼットを整理するように、きれいに片づけなさい。そうしないと罪や悪いものが積みあがっていく。そして自分がどこにいるのかもわからなくなってしまうだろう。」

わたしはその日から片付け始めました。もちろん讃美しながらです。その日色々なものを片付けることが本当に楽しくなったのです。楽しく片付けることができました。

私たち霊的生活を整理するとき、そこに神様がはっきりと進むべき道を示してくださるでしょう。神様はわたしたちの救いであり、永遠の生命であり真実のお方です。

神様は羊飼いであられ、わたしたちはその羊です。しっかりとアンテナを立て神様の声を聴き、感じることができれば、その声を聴き誤ることはありません。

神様を讃美しましょう。すべての栄光と力にふさわしいお方です。

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