2016年1月24日「光は闇に勝つ」 文亨進師 【英語説教日本語訳】その2

Light Overcomes Darkness   Jan. 24  2016   Rev. Hyung Jin Moon   Sanctuary Church Newfound PA on Vimeo

「光は闇に勝つ」  Light Overcomes Darkness

01/26/2016

キリストの「花嫁」であることを重要視していくと、プロテスタントの聖職者も性的自覚において混乱し、ゲイになってしまいます。

キリストの花嫁として花婿キリストを待つという考えがこういう混乱を生むのです。これが継続してずっときました。

ですからお父様が祝福を始められ、三日儀式を定められることにより、神様との関係において、その位置関係を絶対的に明確にされました。

「キリストの花嫁」とは一体何であるのか。

三日儀式で明らかです。神様の祝福を受けた時点で、女性は堕落エバの立場からキリストの花嫁、復帰されたエバの立場に立ちます。キリストの花嫁が女性ですから、これはごく正常なことでしょう。

一方で夫は堕落した天使長の立場から神の息子の位置に戻らなければなりません。息子はその父親の種を宿す体です。息子は父親の種を持っているのです。ですから偽りの種を与えた堕落天使長の立場から、神様の種をもつ神の息子に帰るのです。こうすることで、神様の体であるキリストと肉体的にも一つになることによって、夫は神様の血統を持つ神の息子となり、妻は夫を通して神様から愛されるべきキリストの花嫁となるのです。

この内容は、その原理においてお父様が絶対性、聖婚について語られた内容と完全に一致しています。結婚生活における聖なる貞操、聖なる性。

結婚前の独身時代は神様の息子、娘として存在するのです。このように位置が明確です。「性」において曖昧なところが一つもありません。『自分は戦士で男だけれども「花嫁」になるのか』などという問題が起こりません。キリスト教世界における同性愛の原因が実はここに潜んでいました。

こうしてすべての位置が明確になりました。これがなければキリスト教の底流には常に同性愛への志向性が潜み続けるのです。神様の憎むべきものです。

祝福式と三日儀式がどれほど大きな力を持っているのかわかりますか。

マクロとミクロにおける摂理の進展をみるとき、そこに強い関連性があることがわかります。私たちが独裁と正当性なき権力に対して強く戦えば戦うほど、一般社会でもプロテスタントに属する人々が立ち上がってその声を上げ始めるのを見ることができます。トランプ氏など、色々な所から声が上がるのです。

イスラム過激派やキリスト教を憎む急進左派などが将来、善なる世界を築くことは絶対ありません。彼らはカトリックのような独裁体制を持つ宗教はまだ容認するかもしれませんが、とくにプロテスタントを攻撃します。それは権力を徹底的に分散しているからです。

プロテスタント信仰だけが、過去200年、人類が享受してきた自由を造りだしたのです。地方分権、一極集中しない権力構造、これらは一体どこからきたのでしょう。神様との直接な関係を重要視するプロテスタントの伝統から起こったのです。カトリックではありません。カトリックはこれまで、ファシストを支持し、ヒットラーをさえ指示した歴史があります。なぜなら自分たちも中央集権だからです。現在、サタン側の世界政府の構想を支持しています。

しかしこのプロテスタントは左翼から徹底的に憎まれています。プロテスタントは反抗的だ、頭がおかしい、さまざまな政策に反対する、へそ曲がりで従わない、などと毎日のように攻撃されています。だからこそ自由の基礎を造りだしたというのです。力が分散された組織を外から一掴みに主管することは難しいということです。

大崩壊のとき、人々の資産が一瞬に消えるような時代、実際、多くの経済評論家は今回の経済危機は、大恐慌(1930)よりも厳しいだろう、その影響は一人一人の生活にまで及ぶだろうといっています。 今アメリカ国民の51%が給料ぎりぎりで生活しており、新たな統計によると中流家庭が過半数を割って49%になったということです。アメリカ史上、中流家庭の割合が50%を切ったことは過去にありません。(アメリカは)衰退しているのです。
将来は明るくありません。

しかしここで知っておかねばならないことは、艱難の時代は神様の栄光の前兆であるということです。キリスト教徒は処刑され、牢に入れられました。しかしそれはいつまでも継続することはありませんでした。今も攻撃を受けていますが、それは続かないということです。その迫害こそ主を迎える場を用意するのです。そして神の栄光の下、御力と権威をもってサタンの偽りの権威をすべてこの地から拭い去られるのです。

この艱難の時代に備えることは必要ですが、臆する霊に麻痺されてはいけません。艱難はキリストの来臨、神の国の到来の証です。

聖書は艱難の後キリストが来られる様子を描いた部分で、「その着物にも、そのももにも、『王の王、主の主』という名がしるされていた。(黙示録19:16)」という箇所があります。考えてみれば「もも」に書かれているというのは不思議です。なぜ「もも」なのか?

ここにいる、ある若者が「ももは、ももの内側のことである」と啓示を受けたそうです。ももの内側は種に近いのです。神様の種です。ギリシャ語でスペルマ、英語でスパーム(精子)のことです。ではその種は生きた細胞です。父親が何者か、ということのすべての情報を備えています。
キリストの正体が「もも」に書かれていたというのです。

今週、国進兄さんが来たとき、お父様のお写真を見ておもしろいことを言いました。
「写真を見てごらん。お父様のももに三大王権の名前が書かれているではないか。」

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私もそれを聞いてたいへん驚きました。これは意図したことではありません。私たちはただお父様の顔や胸に書くことを避けただけでした。この三代王権はお父様御自身が用意されたものです。ここから自由と責任にもとづく天一国憲法も生まれました。

ますます悪化する国際情勢、迫害の激化、イスラム過激派の台頭、すでにヨーロッパで起こりつつある文明間の衝突、確かにこれらは現実に起きています。しかし神様の栄光と王国の到来があることを忘れてはなりません。良くなる前に、一旦悪くなることも必要でしょう?

天聖教143

私が監獄に入って手錠をかけられて暮らす立 場に立ったとしても、「私」を拘束させ得ない愛があるのです。私が腰を曲げ、眠ることのできない立場にあると きに、夜に起きると手が光を放っていたのです。なぜ光るのでしようか。神様が抱いてくださっているからです。 それが分かったのです。ですから暗い部屋でも光を放ったのです。…私の神様は愛の神様なので(す)

このみ言はこの部分と通じます。

2テモテ(1:10)
キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを光の下に示されたのである。

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