神様を冷遇する恩知らずの統一教会の群れとなってはなりません

天聖教137

天国を築いて生きる人でなければ天国へ行くことはできません。私が監獄に入って手錠をかけられて暮らす立 場に立ったとしても、「私」を拘束させ得ない愛があるのです。私が腰を曲げ、眠ることのできない立場にあると きに、夜に起きると手が光を放っていたのです。なぜ光るのでしようか。神様が抱いてくださっているからです。 それが分かったのです。
 
 ですから暗い部屋でも光を放ったのです。私がうめき声と泣き声を聞いて 監房の隅で粛然としていると、次の日の朝には、みなはったい粉の包みを私に持ってきてくれたものです。通りを越えて、「どこどこの監房の何号の所に、お前がこれを持っていかなければ、この監房全体が安らかではなく、お前の家が安らかではないので持っていってあげなさい」と言うのです。私の神様は愛の神様なので、このような神様を冷遇する恩知らずの統一教会の群れとなってはなりません。(137-202,1986.1.1)
 
 
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