2016年1月17日説教 「真理を果たす十字軍」 文亨進師 【英語説教日本語訳】全文

VimeoCrusading Truth Jan. 17 2016 Rev. Hyung Jin Moon Sanctuary Church Newfound PA

 

神様を礼拝するとき、すべての芸術もお父様の圏内に引っ張ってこなければなりません。
いま様々な、聖なる芸術分野を開拓しています。どうか絵を描く勇士に拍手をお願いします。

今日はまた新たに、ミスコリア、いやミス天宙のチエさんが讃美のダンスの道を開拓してくれることになりました。このようにあらゆる芸術が神様の権限圏に戻るでしょう。

もちろん左脳を使うことも忘れないでください。知性も働かさなければなりません。

ヨハネによる福音書14章
14:1「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。 14:2わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。 14:3そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。 14:4わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。 14:5トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。 14:6イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。 14:7もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。

イエス様ははっきりと「私は道であり、真理であり、命である。だれでも私によらないでは父のみもとに行くことはできない」と言い切っています。

今の相対主義全盛の時代、哲学的相対主義は「絶対的主張などない」と言います。しかしそこに矛盾を含んでいます。つまり彼らが「絶対的主張はない」というとき、そのことこそまさに絶対的主張であるからです。象と盲人のたとえでは、盲人が象の様々異なる部位、例えばある者は尻尾、ある者は鼻、ある者は足を触り、それがめいめい象の姿であると主張する。
哲学的相対主義もそういうのです。しかし彼らは自分たちだけが像全体を見ているという立場に立っているのです。ここに愚かな人々が陥る相対主義の罠があります。これでは哲学的脳死です。

どの観点も絶対とは言えないとするならば、「絶対的主張はない」という彼らの主張も絶対ではないということにならざるをえません。ここまで大丈夫ですか?ここでは何度もお話ししましたね。

2013年偽りの基元節に韓オモニは女帝宣言をしました。当時はまだ誰も知りませんでした。私たちも内部的にお母さまを取り巻く全体主義の罠、そしてお母さま自身の中にある誤った願望から取り戻そうと努力していましたから。時が経つにつれてどんどんそれは表に出てきました。その結果、お父様から王位を簒奪し、エバを主体の位置,アダムを対象の位置に置く堕落した四位基台を作り出し、神学まで変えてしまいました。

これがいま家庭連合の問題になっています。アダムが先にサタンと堕落し(ホモセクシュアル)、堕落したアダムがこんどはエバと関係したというのです。聖書のどこにもこんなことは書いていません。結局、アダムが問題だというのです。アダムが諸悪の根源であると。

またここに無責任な女性の自由奔放を見ます。祝福リングに自分の名前だけを刻み、堕落の血統を先行させています。いま韓オモニは自分は無原罪で生まれたなどいろいろ言っています。これまで韓氏オモニが行ってきたことを振り返ると…

天聖教の改変(80%削除)
天一国国歌(栄光の賜物)の変更
聖婚問答変更
一神教から二神教へ。
憲法に原理講論の記載なし
お父様の統一マーク削除の訴訟
従順な対象の位置を離れて自分自身を神、メシア、独生女と主張
真のお父様の王位を簒奪
祝福式からお父様の血統(神の血統)を排除
メシアの血統の上に韓氏の血統を置く

2015年10月24日にはもっと露骨に独生女について語っています。時が経てば経つほど、自分の考えていることが表に出てくるのです。

私がオモニを憎んでいるだのという人がいますが、そうではなくただ真実を語っているのです。真実を話すことが私の責任だと思っています。これらのことを言いだしたとき、狂っている、おかしいという批判を受けましたが、いまやオモニが自らの口で語り始めました。

「すべてのキリスト教の基盤は独生女を迎えるためのものです」「神様の摂理は独生女を見出すものであったということです」

続けて、大きな韓王朝が存在し、そこから現在の朝鮮、日本が生まれたと語りました。まったく史実と異なる内容です。
結論を言えば、韓半島の歴史は再臨のメシアである独生女を迎えるためのものであったということです。

話すたびにオモニの本音が出ます。これでは支持するわけにはいかないでしょう?

2015年12月12日には「サタン世界とは異なる神の独生女が神様の娘として生まれる必要があったのです」と語っています。

オモニは堕落の血統から生まれメシア、お父様によって清められたにもかかわらずです。

「今も言ったように、2千年のキリスト教歴史は神の独生女を探す摂理であったということです。私はそういう基準を持っていたということです」

キリスト教2千年の歴史においてキリストは一貫して「花婿」の位置に置かれてきました。「花婿」「裁き主」「王」。この三つが歴史的キリスト教が守ってきたキリストのアイデンティティです。もしその「花婿」が女性だったとすれば大きな問題が発生します。世界中の女性、つまりキリストの花嫁と結婚する花婿が「女性」ということになるのです。必然的に全世界の女性はレズビアンにならなければならないということになります。キリスト教は二千年をかけてレズビアン・フェミニズムを待ち望んできたということです。二千年キリスト教歴史の待ち望んできた理想がレズビアン革命であった。それが聖書の目的、神様の創造目的、四位基台の結実ですか?

これは現在、家庭連合のトップレベルの緊急課題になっています。オモニの背後で会議を頻繁に行いこの問題をどうするか真剣に検討されているという話です。お母さまを排除してどうにか止めようとする動きです。盗人の巣窟に名誉などありません。彼らを信じると後から刺されるのです。彼らは権力とお金のことしか頭にありません。お母さまにも以前言いました。

このように家庭連合は今、レズビアンを最高の理想として教えているのです。
これは神聖冒涜であるばかりでなく完全なサタン神学です。このような内容を持つ神学はルーシェル主義神学です。この現実が分からないとするならば文字通り脳死状態に陥っていると言ってもよいでしょう。

世界巡回師である史吉子氏を、今回アメリカに送りましたが、彼女もお金でお父様を売り渡した一人です。清平にはペンションを持っています。家庭連合の主張を一言でいうと、「真の父母様は一つ」です。

ところが彼らが選んでアメリカを巡回している史吉子氏がこんなことを言っています。

「お父様は亨進様を擁立されましたが、お母様はそうではありませんでした。お母さまは駄目だと言われました」

真の父母は一体のはずではなかったのではないのでしょうか?これは、お父様とお母さまが一つではなかったことの証拠ではないですか。この人を巡回師として送ったのは私ではありません。家庭連合が派遣した当人が「真の父母が一つ出なかった」ことを証しているのです。

レズビアン神学を所有する結果として家庭連合の社会学的立ち位置は次のようにならざるを得ません。

中絶は女性の権利(胎児の人権無視)
銃規制賛成
急進的フェミニズム
中央集中権力構造
中央集権政府
教育の中央統一化
気候変動=エリート階級の贅沢を支えるため徴税
神学的レズビアン
福音キリスト教派を憎み、イスラムには沈黙(相対主義支持)

 

(ここでヨーロッパに大量に流入するイスラム難民に関する現実のレポート映像を視聴)

 

ヨーロッパで起きている現実を見ました。このようなこと(イスラム難民を問題視する)を発言すると人種差別だ、イスラム全体を憎む者と言われます。この問題について発言するだけでそう言われるのです。イスラム法(シャリーア)によるとイスラムを批判することを一切認められていません。テレビに登場するリベラルな人々、共産主義は問題視するだけで人種差別とレッテルを張ります。こうしてイスラム法を自分も知らないうちに導入しているのです。そして、イスラム法の問題点とそれが導いてきたこれまでの歴史を確認しようとするアメリカ人に脅威を与えています。

西洋人は罪深く、邪悪にも全世界を破壊し、キリスト教徒の快楽のために人類を奴隷のように扱ってきた血に飢えた悪魔のような者たちだ。自虐の念をもち、その罪悪感を少しでも薄めるためにも(寄付など)お金を出せという訳です。そのお金で共産主義者は組織を大きくする。

フェミニズム団体もそうです。みなきれいごとを言いながら共産主義、社会主義的思想に繋がっています。教育の中央管理、官僚組織、中央集権、銃規制、すべてにおいて女性運動は共同歩調をとっています。ここで十字軍の真の歴史についてみてみましょう。

これまで白人の恥ずべき行いとみなされることが多かったのです。7、8世紀、イスラムの台頭以降の歴史を見て行きましょう。

イスラム台頭以前、中東ではキリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒が信仰者の大半を占めていました。またギリシャ・ローマ文明とキリスト教の最大の拠点の一つでした。

当時のキリスト教はアレキサンドリア、アンティオケ、コンスタンチノープル、エルサレム、ローマの5つの教区でそれぞれ総大司教によって治められていました。

この資料は無神論学者が作成したものです。だからキリスト教への好意的偏見はありません。この人は歴史家であり哲学者です。

613年、ゾロアスター教ペルシャによってアンティオケ(現トルコ)は占領されますが、数十年後にペルシャ帝国はイスラムによって侵略されました。難民でもテロリストでもありません、イスラムの侵略者です。

世界各地で起こるイスラムによるテロ攻撃は決してイスラム・テロとは言いません。イスラム抜きのただのテロ、テロリストなのです。しかしその背後には地球上で最大規模の侵略をおこなった「侵略のイデオロギー」が存在することを忘れてはなりません。

ところでアンティオケはイスラムの手に落ちました。637年エルサレムがイスラムの支配下にはいり、641年にはアレキサンドリアがイスラムに屈しました。

またビザンチン帝国(キリスト教)の首都であるコンスタンチノープルは674年、イスラム軍によって包囲されその4年後に陥落します。

イタリアではどうでしょう。667年、ビザンチン帝国の一部であったイタリア半島南部にイスラム軍が侵攻、その攻撃は902年シシリー島の征服まで続いた。つまりシシリー島はイスラム国となったのです。その後264年間支配します。

864年にはイスラム軍はローマへの攻撃を開始したが皇帝アウレリアヌスの築いた城壁によって阻まれた。イスラム軍は城壁周辺の町々を侵略し年齢の区別なく男女を殺戮し、聖ぺテロ、聖パウロの教会堂を略奪し、おまけに両聖人の墓所まで荒らした。

ローマへの2度目の侵攻は教皇の連合軍によって阻まれた。イタリア占領はその後、数世紀にわたってローマの脅威となり続けた。

これまでこのような歴史を知らなかったことに驚きます。

スペインとフランスではどうでしょう。
717年、西ゴート族(キリスト教徒)のスペインに侵攻し9年でほぼ全土を征服しイスラムによるコルドバ首長国を建国。
キリスト教国によるイベリア半島の再征服活動(レコンキスタ)は770年間続きました。

悪のヨーロッパ人、十字軍で罪なき人々を殺戮し奴隷にした、という(自虐的な)話をよく聞きます。「この邪悪な者たちよ、お前たちの金を国によこせ」というのです。実際このようになっているのです。「不寛容」「人種主義者」のレッテルを張ろうとします。人々に罪の意識を持たせて、お金を(税金のかたちで)巻き上げようとする政府、官僚の姿がそこにあります。

イベリア半島を獲得したイスラムは北上して中央ヨーロッパに侵攻を仕掛けますがこの試みはフランク族により阻止されます。

732年、歴史上、重要な戦い、トゥール・ポワティエ間の戦いが起こります。カール・マルテル率いるフランク王国軍がイスラム侵略軍を破り、数世紀にわたるイスラムのヨーロッパ侵攻は終わりを告げます。歴史家はこの戦いがキリスト教をイスラムから救ったと評価しています。
622年から750年の130年でイスラムが支配した地域をご覧下さい。

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何もないところから北アフリカ、中東全域、そしてヨーロッパにまでその勢力を広げました。これが現実です。人類史上最大の侵略イデオロギーであるというのです。しかも政教分離がないので国家が宗教であるというのです。しかしこの事実を言うだけで、この上下逆の国やヨーロッパでは「人種差別」と言われるのです。

キリスト教の作り上げた文明、プロテスタントの築いた自由はこの先どうなるでしょうか。キリスト教にとってはいささか、まずいことになるかもしれません。

共産主義、ファシズム、フェミニズム、社会主義のその行きつく先はどのようなところでしょうか。決してそれが自由の地であることはないでしょう。多文化主義?いいでしょう。しかし多文化主義が招くものをはっきり認識しなければなりません。すべて平等に受け止める。どれが優れているということはない。すべての文明はそのままでよい。これでは侵略イデオロギーの思うままです。それを非難するだけで「人種差別」「異教徒」と排斥されるのですから。

共産主義、ファシズム、フェミニズム、いかなる形を取ろうとも本質は社会主義です。それは国家のすべての免疫系を破壊するSTD(性感染症)のようなものです。脅威を脅威と認識できなくなるのです。先程のビデオの中でありましたが、ヨーロッパで女性が外出することも恐怖を感じるようになるのです。一方であらゆる文化を尊重しなければならないと押し付けられます。

イスラム支配者の統治下で一定の保護を与えられたキリスト教徒(アラビア語でズィンミー)は改宗こそ迫られなかったものの、特別な税を課せられるなど過酷な2級市民の扱いを受けました。

そこで第一回目の十字軍派遣が始まります。キリスト教ビザンチン帝国はイスラムの第2回の攻撃を退けたものの本土の安全は決して確保されている状態ではありませんでした。またエルサレムはキリスト教世界にとって重要な聖地であることからビザンチン帝国は十字軍派遣の百年も前からエルサレム奪還を計画していました。
しかし1071年にイスラム軍に手痛い敗北を喫し領地を大きく奪われ、皇帝まで捕虜になり、その後ビザンチン帝国は西ヨーロッパの貴族やキリスト教指導者に援軍を求めました。

1095年、ローマ教皇ウルバヌス2世に使者を送りイスラムの攻撃に対して援軍を要請します。こうしてウルバヌス2世は第一次十字軍遠征を決断します。

他方、最初のカリフによるイスラム帝国はその最盛期には現在のアメリカ合衆国に匹敵する面積の領地を所有しました。
ウマイヤ朝になるとその領地は現在のロシアに匹敵するまで広がります。

ローマ帝国が800年かけて拡大した領地のさらに3倍の領地をわずか130年で得たのです。

もしイスラムを信じる者たちが小さなコミュニティーを作り穏やかに暮らしていたなら問題はなかったでしょう。ところがその始まりの時から拡大志向が強く、征服志向の教義を持っていました。現実の歴史からそれがわかります。なにより力で征服するのです。

1878年に露土戦争でのロシアの勝利によってブルガリアが解放されましたが、イスラムによる支配を1122年間受け続けました。ヨーロッパがイスラムを安全に退けたのは1878年ということになります。百数十年前です。比較的最近でしょう。

またイスラム帝国は7世紀から15世紀まで奴隷貿易を取仕切って来ました。キリスト教世界が奴隷貿易に従事していたのは1519年から1815年までです。

ムスリム(イスラム教徒)による奴隷貿易で命を落としたアフリカ人は累計で1億1200万人と言われています。
また歴史家ロバート・デイビスによれば1530年から1780年だけでも北アフリカのムスリムの海賊行為によって拉致され奴隷として売られたヨーロッパ人は100万人に上ると言います。海賊行為は7世紀から続いています。

「白人は残忍で、世界で多くの人殺しをした」ですって?

現実の数字を見てわかるように歴史的に100万を超えるヨーロッパの男女、子供が(ムスリムによって)奴隷として売り飛ばされたというのが現実です。こういう事実に触れずに、一方的に欧米人を裁く…これはプロパガンダ以外の何物でもありません。

また計り知れないほど多くのアフリカ人奴隷が中東に流れ込んだにもかかわらず中東に黒人はあまりいません。その理由はアフリカ女性と交わってできた子供は殺されたからです。それとは対照的に、ヨーロッパやアメリカ、南米には黒人が多いでしょう。彼らは奴隷アフリカ人の子孫なのです。

ヨーロッパに奴隷貿易を持ち込んだのは宗教改革者マルティン・ルターが「私の良心は神の言葉の中にとらわれている」と名言を吐いて反旗を翻した神聖ローマ帝国皇帝カール5世でした。

カール5世はプロテスタントですか?神様と直接つながろうとする福音派ですか?いいえ段階権力構造で支配するカトリックです。
どうしてプロテスタントが憎しみを買うのか。
それは彼らが真の自由の闘士、独裁者にとっては反抗者だからです。

段階権力構造のカトリックが数々の異端的教義を生み出しました。その一つの例が罪なき聖母マリア思想です。
神聖ローマ帝国がカトリックを乗っ取り、奴隷貿易を始めたということです。福音派は反対しました。

まだ西(南北アメリカ、大半は南米)に送られたアフリカ人奴隷はまだ幸運だったと言えるでしょう。
西に送られた奴隷の三分の二は男性でした。その目的は労働です。ところが東(イスラム世界)に送られた奴隷のうち3人のうちの2人が女性だったというのです。その目的は性的なものでした。だからヨーロッパから拉致された女性には高値が付いたと言います。ハーレムで性的玩具になったということです。

キリスト教とイスラム教が同じようなものだと思いますか。それらは、とんでもなく異なっています。もし同じだと思っているとすれば、もはや脳死状態であり全く愚かなことです。

そして全く異なる文明です。ここでいうキリスト教は福音主義的なキリスト教、プロテスタントのことをいっています。なぜならそれは中央集権的なカトリックとも大きく違っているからです。

これが歴史的現実だということです。これが拡大主義、征服主義の歴史的背景にあります。これがイスラム法成立の背景です。

もちろんイギリスやアメリカにもイスラム聖職者はいます。アメリカ国内のモスクの80%はサウジアラビアの所有物です。そこでは厳しいイスラム法が適用されます。特に女性にとって過酷です。運転してはいけないことはもちろんのこと、教育も満足に受けることが許されません。強姦されると4人の男性の証言があれば石で打たれる。アダムとエバではなく、アダムとエバ、ジャネット…もう二人の女性。そして好きな時に離婚できます。

もし戦で命を落とせば楽園で72人の処女が与えられることになっています。イスラムのために死ねば、女性だけでなく望めば男性も与えられるのです。キリスト教とは鋭く異なるというのです。

あまりにも共産主義的な考え方に侵されているので、すべてを同じレベルで平等に見ることにより、免疫が効かないのです。違いが分からなくなったのです。相対主義化が文明を滅ぼします。善悪を見分ける免疫系が破壊されるからです。

過去50年、西洋のフェミニズムはキリスト教徒の男性をののしってきました。フェミニストだけではありません。リチャード・ド―キンス(訳注:『利己的な遺伝子』をはじめとする一般向けの著作を多く発表しているイギリスの進化生物学者)のような無神論者たちもそうです。ド―キンスは先週、どこかでこう語っていました。

「キリスト教は衰退しているが、可能性として今後より愚かな考えがでてくることも考えられる…」。

ド―キンスさん!あなたがそれを生み出しているのですよ!

名誉を重んじ、主を愛し、家庭のために命を捧げる、キリストに従うKタイプの善なる男性
を取り除けばどうなるか。
悪なる男たちがそこにきます。善なる男性を排除すれば、そこに悪なる男性がやってくるというのです。大きなスケールから小さな身近なことまで一貫しています。

父なる神様を愛するのか。天の父を愛するのか。それとも天の父を憎み、その主体性を憎むのか。それはサタン主義に他なりません。サタンは常に自分を神様の上に置こうとします。悪なるアダムを神様の上に置こうとするのです。そして相対化し、主体の位置を狂わせます。
善なる男性を排除すれば、悪なる男性がその位置を埋めるでしょう。これがまさに西洋諸国で起きているのです。まもなく文明間の衝突がおこるでしょう。

家庭詐欺連合との争いにおいてもそうです。彼らがいかにお父様を憎んでいるかを見てください。お父様の名を口にすることもできない。お父様の主体性を語ることも許さない。お父様が力強く男らしい方であることを語ることすら許さない。すべてを消し去りたいかのようです。

お父様抜きで音楽やダンス、絵画等の芸術を持ち込んだところで、そこにあるのは破壊のみです。神様の理想から逸脱するのです。単なる自己中心的表現ではないのです。

お父様の愛から離れるとき、地獄が解き放たれます。ここで讃美を捧げるときも全ても芸術を引き入れなければなりません。お父様はそこに座ってご覧になっておられます。私たちはここでお父様に喜びをお返しするためにいるのです。私たちは力強いお父様がそこに座っておられることを決して忘れてはなりません。

すべての芸術をお父様の権威の下に取り戻すのです。芸術は自己表現だと思わされている人は神様の御前で裁きを受けるでしょう。

私たちは世俗の歌を歌いません。神様のみ言を歌います。神様を讃える歌です。ユダ族を讃え、神様の祝福と御力を讃える歌です。音楽、芸術、美術、舞踊は美しい被造物です。

詩編は神様に舞を捧げることを謳います。神様の律法を讃美します。ではそうでなければどうなるでしょう。

天聖教1706

牧師がそのような生殖器の話をすることができますか。皆、つばを吐きます。生殖器に対してつばを吐く男性、女性がいますか。男性が女性の生殖器につばを吐き、女性が男性の生殖器につばを吐きますか。

生殖器は神聖なものです。それは神聖で、神聖で、神聖な生殖器です。神聖なものです。堕落していない、完成したアダムの位置です。神聖な場所であり、神聖な宮殿です。最高の宮殿です。生命の本神殿が生殖器であり、愛の本神殿が生殖器です。

私たちが芸術をもって神様に美をお返しするとき自己表現に満ち満ちたこの世的なものであってはなりません。芸術は目的を持たなければなりません。神様のための美であり表現であり栄光であるということです。芸術も主体的相対をもつのです。よくある自己表現芸術のような三歳児にでもできるものではありません。現代の芸術はこの自己表現に道を譲りました。

では自己表現はわれわれをどこに導いて行くでしょう。それはこのみ言を見てもわかるように「悪なる性」に導くというのです。

実際、世俗の世界でのトップ・アーチストは性の世界をホモセクシュアルであれ何であれ讃美します。非常にサタン的です。文化を破壊します。

私たちが求める芸術は自己表現、自己崇拝の世界ではありません。神の栄光を求めるものです。私たちのために命まで捧げ、血を流し、十字架についた方に感謝と礼拝をお捧げするものなのです。神様の愛をほめたたえるのです。

これからここで讃美を行うとき、これらのことをしっかり心に留め置いて下さい。神様との関係が問題です。芸術は手段であって目的ではありません。自己表現は力弱き芸術です。それは自己陶酔にすぎません。真の芸術は偉大な神様、私たちのために血を流し犠牲になって下さったお方に導くべきものです。真にそれを行なうとき、私たちは癒しと力、聖霊の賜物を得ることができるでしょう。ですから音楽を聴くとき、深くその奥にあるものを求めていきましょう。単に楽しむためではありません。確かにお父様も踊りがお好きでした。しかしどういう思いでそうするのかが問題です。神様の喜びのためにするのです。そこに美と永遠の力があります。

最後に心に触れたみ言を紹介します。

詩編69章35節

天よ地よ、主を讃美せよ
海も、その中にうごめくものもすべて。

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