1月3日説教 文亨進師 【英語説教日本語訳】 その3

1月3日説教 「生きたみ言」文亨進師 【英語説教日本語訳】

 

関係性こそ鍵だというのです。み言と交わる時、キリストに関わっているのです。

 私たちは宗教を実践しているのではなく真実なる場を見出そうとしているのです。この本(more than a carpeter)の中で著者が自らの体験を通して知りえたことを示してきます。一度読んでみることをお勧めします。

 著者はこう指摘します。「(会話に)イエスの名がでると、ある人はとても気落ちする。また非常に喜ぶ人もいれば、怒り出して会話を中断する人もいる。では釈迦やムハンマドの場合はどうであろう。孔子の場合は?そうはならない。なぜならイエスは「神の子」だと主張しているからだ。「神と完全に一体化している」と主張しているからだ。それは全く神聖冒涜行為である」またこの本には「嘘つきの狂人、あるいは主」という章があります。

 著者はイエスの本当の姿を求めて様々な聖句を引用しています。「私を憎むものは、私の父を憎むのであある」「私を見たものは神を見たのである」これらの言葉は普通ならば完全に神を冒涜する言葉です。「すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない」(ヨハネ5:23)

 このようにイエスはたいそう過激に自分の立場を主張しています。私たちは原理講義を通じて何十年もの間イエス様は一人の人間だと教えられてきました。しかしお父様が最晩年は語られたことがあります。それは「夜の神様、昼の神様」です。いったいこれは何でしょうか。

 お父様は「私は「夜の神様」から来た。私のほか、「夜の神様」から来たものはない」と仰いました。そして「夜の神様」は天地創造以前の神様である、「時間」さえも超越した神様であると説明されました。お父様はその「夜の神様」から送られたと言われたのです。この点でまったくイエス様と同じです。「私を見たものは神を見たのである」。

 「道徳倫理の教師としてのイエスは受け入れられるが、神の子としてのイエスは受け入れられない」と多くの人が言います。この本の著者はこの点についてこの述べています。

 イエスを偉大な道徳教師として受け入れることはできるが神の子のイエスは受け入れ難い」という人がいるが、それはやめた方がいい。なぜなら「自分は神の子だ」と主張する者が「道徳的」であるはずがないからだ。

普通の人間でそのようなことを言い張るとすれば、彼は「自分は目玉焼きである」と主張するのと同じレベルの狂人か、地獄の悪魔である。

イエスは「神の子」、「狂人」あるいは「地獄の悪魔」のうちいずれかであるかをあなたは選択しなければならない。

原理的にはおかしいと感じるかもしれません。しかし最晩年にお父様がおっしゃったことを想起してください。これは神学的には自己啓示(self-revelation)といわれるもので非常に大きな意味を持つものです。メシアの自己規定であり非常に重要な内容です。わたしたちが認識する内容ではなくメシア自身がこの世に向けて公表した自己のアイデンティティです。「夜の神様」「昼の神様」。これは大きな爆弾だといえます。お父様は「(夜の)神様から来た」と言われたのです。あまりにショッキングな言葉なので私たちは、このみ言をどう扱えばよいのかわかりませんでした。

 50年以上にわたって、キムさん、ユさん、リーさんやパクさんなどが教えてきた内容とは180度も異なるみ言です。

 この50年で私たちは「宗教」になっていました。生きた神様に合わせて生きることをしてこなかったのです。なぜ聖霊がいなくなってしまったかわかりますか。

 「この組織に従っていかなければならない」「公文に従わなければ…」「今日の訓読会で2ページから8ページまで読みたいのですが、指示通りですか?」「それは公文の指示とは違います」などなど。まったく(神様、キリストとの)生きた関係とは関わりのない宗教組織になってしまいました。

 最後の2年間、私はお父様のお側にいました。そこはまったく宗教とは関わりのない、ただ関係性の世界でした。儀式もありません。訓読会でもお父様は自由に様々なことを語られました。絶対性、結婚について、また釣った魚やボートについて語られることもありました。それは関係性です。実際、スケジュールもありませんでした。お父様の啓示に従って動きました。

 しかしそうして私たちの既成観念から離れてみると、心から自由を感じました。真の自由、本物、真の関係性を体感することができました。

 窓を通してみるお父様ではなく、カメラを通してみるお父様でもない。韓国幹部を通してみるお父様でもない。御自身の子女との間にも韓国幹部は割って入ろうとするので、これは(真の家庭の)子女であっても起こりうることだったのです。

 私は太平洋の真ん中で小さな船室の中でお父様と二人っきりで眠ったこともあります。

 韓国幹部は追い出しました。お父様といたいから出て行ってくれと言いました。その写真もあります。お父様に毛布をおかけしている写真もありました。これこそ神様が望む関係性です。宗教ではありません。

 とにかくこの本「More than a carpenter」はお勧めです。聖書は難しいという子供さんがいればこの本は素晴らしい入門書になるでしょう。現代社会のことから科学、社会に影響力をもつ新無神論についても解説されています。イエスを信じることはそんなに愚かな、非科学的なことなのか。日々み言から力を得てください。神様が導いて下さるでしょう。

 ところで、今日ステージの中央においてある画架をご覧ください。数週間前、キリストの花嫁たちをステージに呼んで花婿に歌を捧げました。その中で大きな愛を感じました。超自然的な愛です。注がれる聖霊の力。そこで今日は「神様があなたにお願いするように私に言われました」と言ってマーサさんにお願いしました。ここで「讃美描画(Praise painting)」を開拓して欲しいと。マーサさんは今日、読まれるみ言を知りません。神様から与えられるみ言をあらかじめ知らされることなく、すべて自由に即興で絵を描くのです。だから完全にLIVE中継ということです。

 私はマーサさんに言いました「神様がどんなみ言をあなたに下さるがワクワクします」。当然マーサさんは緊張しているでしょう。皆さんの目の前で絵を描くことになりましたから。そこで「マーサ、リマを得て、何を描くべきか神様を信頼して神様から啓示を得なさい」と私は言いました。どういう方向に導きを受けるかわかりません。それは山であるかもしれないし、樹や花であるかもしれません。あるいは戦士の姿かもしれない。ただ霊に導かれるまま描いて下さいとお願いしました。ただ神様のみ言に感応するのです。ではマーサさんにリマを引いてもらいましょう。新たな道を拓きます。

 あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。マタイ6:32

 マーサさん、何を描くのか、私たちには明かすことなく、導かれるまま描いて下さい。

 神様も芸術を愛され、お父様もそれを愛されました。多くの芸術の問題点はどこにあるのでしょう。見映えよく、快楽主義的で自己中心。ゲイやフリーセックスを奨励する。神様の願いを無視した自己顕示。

 世界中のサンクチュアリ教会にいっておきたいことはこれです。

 「聖書的でありなさい」

 世俗の歌を少しでも採用すればそれは徐々に浸食し支配し、結局、悪魔を招来することになるでしょう。                 

-続く

 

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マーサさんが讃美の中、描いた絵

 

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