12月20日クリスマス礼拝説教 【英語説教日本語訳】(その2)

VimeoChristmas Celebration Sunday Service   Dec. 20  2015   Rev. Hyung Jin Moon2   Sanctuary Church Newfound PA

ニュージャージーで(サンクチュアリは)自由と責任で運営するのだと話したとき、聞いていた人達は驚いていました。「では油を注いだ責任者が道をそれたらどうされるのですか?本部にそういう報告がいけば懲戒はするでしょう?」こう聞かれました。

 いいえ。私たちは中央ですべてを統括しません。わたしたちは『競争原理』を導入しています。例えばですよ…南極にシロクマの教会があったとしましょう。そこの一匹のクマから今の教会長は圧制を敷いています。カトリック教会でも作る勢いです、という報告が来たとします。私たちはこう言うでしょう。「ほかにも油を注いだ別のクマさんがいます。良く教会員の面倒を見ています」。こうしてほかの責任者を紹介するだけでメンバーは彼らを愛し神様を愛しお父様を愛する人のもとに行って集うことができます。

 私たちは悪魔たちが考えるようなことはしません。細かいことにまで干渉し監督する必要がありません。そういう者たちが錯覚を起こすのです。そういう者は必要ないというのです。私たちには全能の神様、王の王であられるキリストがいらっしゃるではないですか!キリストこそ王なのです。わたしたちは愚かな権力構造や宗教を踏みつぶされるお方と関わっているのです。

 いま世界中に教会ができ発展していますが、それは急進的かつ素晴らしい形で広がっています。なぜなら人々はあまりにも天使長の奴隷の位置に慣らされてきたからです。

 権力のピラミッドから脱出した兄弟姉妹やいまも葛藤している兄弟姉妹と話をしていると本当に人々が神様との関係、神様のもとでの自由を享受してないことがわかります。

 私は愚かな者の友にはなりたくありません。私は神様の友になりたいのです。愚かな者たちが私をどう言おうと気にしません。皆さんのことも陰で言われていますよ(笑)。

放っておけばよいのです。所詮、愚かな者たちです。

 あなたたちを貶めることで哀れな姦淫者である自分を高めようとしているにすぎません。お金と権力に子犬のように尻尾を振る者たちです。

 クリスマスにはあれをしないと、これをしないといけない。そうではないというのです。宗教が問題ではありません。生きた神様のみ言、生きた神様との関係、これこそ私が追い求め、欲する永遠の関係だということです。世界各国、各地から私たちが集まっているのもそれを求めて集まって来ているのです。組織のキム、ヤン、ファン…その他のいかなるものに呼ばれて集まったわけではありません。これをせよと命令する者たち。私たちは悪魔の僕ではないのです!私たちは自由な、神の人です!天宙の王と関わる者たちです。

クリスマスに必要なことはこれではありませんか。これより偉大なクリスマスはないでしょう。他のものは歴史の時間の中で流れていきます。問題は関係性です。

 先週、様々な証がありました。式典中に先祖を見たという証もありました。ある人はなどは中心に立って先祖たちにあれこれ指示をだしたというのです。それでいいのです。あなた方が先祖にとっては主体なのですから。

 神様を祝い礼拝するとき私たちは何をしているのかといえば神様との関係を築いているのです。この間の韓国語礼拝を見られましたか?神様の花嫁たちが前に出て讃美の歌を歌いました。天から注がれた霊で涙がとめどなく流れました。心情と愛の爆発がありました。これこそ真の女性の時代です。真の女性はキリストの花嫁だからです。売春婦ではありません。夫に対して尊敬すべき誇りある貞淑なキリストの花嫁です。彼女たちこそ真の女性であり、お父様がおっしゃった世界を変える女性時代の主役です。権力とお金を欲し、それに喜びを見出す淫婦ではありません!

 これはバビロンの淫婦に起こったことです。間違いなく裁きを受けるでしょう。

 ジャマールはどこにいます?今日はお休みですか。彼はこんな風に言います。「天国に淫婦なんかいらねえよ!」(笑)

 貞淑な女性と不貞の女性では大違いです。見識のある男性ならすぐに見抜くでしょう。見かけに惑わされることなく、その不誠実を通して直ちに見抜くのです。

 キリストは何を望むでしょうか?キリストと関係性を築く人々を望むのです。偽りものを望まず、本物を望みます。真の関係です。

 今日もまだ霊の働きを感じることができます。先週、とても力強い聖霊の働きがありました。キリストを求め求めながら関係性を深めていくのです。

 人を喜ばせる必要はありません。人目を気にする必要もありません。神様を礼拝するとき、あなたと神様だけが問題だというのです。あなたをねたむ愚か者が問題ではありません。問題はあなたとキリストです。それが礼拝です。神様と私です。

 先週、讃美の歌を歌い始めたとき、人目を気にする自分に気付くことができましたか?「霊は座れと言っているけど…みんなが立っているのになあ…」とか、叫びたい衝動に駆られるが思わず周りを見回す。そういうことがあったでしょう?

 なぜそうなるのでしょう。聖書は「こころは戦場だ」といっています。そこでは自分に対する戦いが行われています。悪魔があなたに戦いを挑んでいるのです。悪魔はあなたの心を支配しようとします。一旦こころに恐怖を植え付けると何をするときも、あなたをぐらつかせることができるのです。すべてを不安にさせることができる。こうしてあなたを弱く、弱くしていくのです。恐れをあなたの心に注ぎ込んでさらに弱くさせようとします。神様の目から見たあなたではなく人目を気にする奴隷になるのです。こういう戦いをしているのです。だから讃美し、礼拝をすることで自分の心を見つめてほしいのです。

 私たちは礼拝するものに似るのです。神様を礼拝すればより善になります。サタンの嘘を讃美すれば弱められるのです。そして完全にサタンの僕になります。

 パウロはこういいました。「神は恐れの霊を与えられない。それは聖霊から来るものではない」。それは恐れの霊です。しかし多くの人々、特に霊的に幼い若者はそれに支配されがちです。たやすく侵入されるでしょう。恐れの霊はあなたを弱め、神様から与えられた可能性を損なおうとします。その可能性を壊す最も簡単な方法は、あなたの頭と心に侵入してこの嘘つきの言葉を信じさせることなのです。一生この恐れの霊にかしずきながら生きればどうなりますか。何をすることも恐れることになるでしょう。神様にかしずいていないから壁を破ろうとするとき必ず挫けてしまうでしょう。恐れの霊を持ちながら毎日訓読してもそれは宗教儀式以上のものにはならないでしょう。神様との関係性なしには人生の活力にはなりません。キリストと関係を持たなければなりません。

 もちろん神様の礼拝において感情に流されてはなりません。だからみ言を基礎とするのです。群集心理に陥ることなくみ言に基礎を置くべきです。これが重要です。

 礼拝では歌が問題ではありません。上手い下手が問題ではないのです。神様を讃美しているのかどうかが問題です。

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