イメージとしての「真のお母様」

 
今日地元のサンクチュアリ教会での礼拝で、参加していた2世の一言が印象に残った。

この2世はヨーロッパで育った国際祝福二世であり、韓国・鮮文大学留学を経て日本に嫁いできた。韓国での体験でこれまで信徒として頭に思い描いてきた「真のお母様」と韓鶴子おかあさまの実像にいくばくかのギャップがあることに気付いたそうだ。

ここでその具体的な例をあげることはしないが、最後に彼女が言った一言が心に残った。

「教会がつくりあげた、信徒用の『真のお母様』の像(イメージ)を崇拝することは『偶像崇拝』の罪を犯すことではないのか?」

もちろんこのことは真のお父様に関しても言えるだろう。果たして私たちは「六マリア」摂理を含めた上での真のお父様を受け入れているのか。

「真の父母」の価値はお父様のみ言葉にもあるように完成した核心的四位基台であり最高の存在だ。これを認めないならばメシアの弟子ではない。

最近、家庭連合の人々は亨進さまの世界会長時代の過去のスピーチ「真の父母を否定するなら決して私を信じないで下さい」を持ちだして亨進様の言動の『矛盾』、言行不一致を提示しようとしているが、それはお門違いだ。

第一、亨進様は「真の父母」を否定していない。亨進様が否定しているのは「真の母」の位置を離れた韓オモニであり、「真の父母」の位置を逸脱した行為そのものを非難しているのだ。この違いは大きい。例えばオバマ合衆国大統領が大統領としてあるまじき行為を行った時にマスコミはこぞってオバマ氏を非難するだろう。この非難をもって大統領職(Presidency)の否定と捉える人などまずいない。むしろオバマ氏が大統領職を否定したと言うだろう。それと理屈は同じだ。

「真の母」は「アメリカ合衆国大統領」と同様の職責を伴う位置である。「真の母」と韓鶴子総裁は論理的には別存在である。長年信仰して来た者にはこの二つを分離することなど思いもよらない。私もそうだった。

しかし「真の母」を私的な動機でその位置から離れるということは形を変えた「真の母」の否定である。その意味で『「真の母」を否定するものは信じるな』と語る亨進様のスピーチは今も有効である。

「真の母」と「韓鶴子」を未分化のままにただただ韓鶴子総裁を偶像化することは十戒の第一にひっかかる。

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