今だから分かる基元節当時の亨進様の心中

6500truefamilyさんから次のようなコメントを頂いた。(一部抜粋)

亨進様が教会を去ったのは、お母様による更迭・左遷だったという事実をしりました。
なぜ、亨進様が教会から突如消えてしまったのかという疑問が解けました。
また、その更迭・左遷の理由も非常にばかばかしいものでした。亨進様が天の父母様の名で祈らずに、天の父の名で祈ったからというのです。私は個人的に、天の父母様に祈りません。天の父に祈ります。その理由は原理講論にあるとおりです。
まあ、それはある種の言いがかりであり、天の摂理と逆行するものです。神は歴史をかけて、アダムを求めてきたのであり、そのアダムに接木されることにより、人類は神の血統圏に帰ることができるのです。

お母様は復帰されたエバの立場であり、原罪は当然、誕生されたときにはあったのです。
無原罪ではなかったのです。お父様の勝利があってこそ、真の母の立場が復帰されたのです。
それを、無視して、自分は無原罪だと主張すること自体、原理を否定し、真の父を否定することです。
亨進様が激怒するのも当然です。
真理を根拠としない教会が発展するはずはなく聖霊が働くはずもありません。

・・・・

(引用終わり)

このコメントを読んで私が思い浮かべたことがある。それは基元節の翌日、2013年2月23日に開催されたILC(国際指導者会議)で
当時世界会長だった亨進様が韓鶴子総裁の基調演説を代読される姿
http://www.familyforum.jp/2013032118271である。いつもの明るい快活な亨進様ではなかったので、どこかお悪いのかと当時思ったことを記憶している。

真のお母様による基調演説(文亨進世界会長代読)2 23ワールドサミット2013   統一教会員の合同ニュースブログ familyforum.jp   ファミリーフォーラム

今にして思えばそれもそのはず、この時すでにわれわれが今知る、お母様、また中心幹部との背後での戦いの最中だったのだ。この代読文の中には何度も「天の父母様」が出てくるがこれを代読される亨進様の胸中を察することができる。おそらくこのビデオは亨進様が公の場で「天の父母様」を口にした最初で最後の機会であろう。

基元節の午餐会の最後の祝祷をヨナ様とお2人でされた時、「天の父母様」ではなく「天のお父様」と呼ばれたことに「あれ」と思ったことを覚えている。祈祷での神様への呼びかけでは「天の父母様」とは口にされなかったのだ。

基元節行事 Full Video 日本語版   統一教会員の合同ニュースブログ familyforum.jp   ファミリーフォーラム

今だから分かる基元節当時の亨進様の心中」への1件のフィードバック

  1. 危惧されるみ言 の発言:

    侍りたいお父様 1961年2月12日 『文鮮明先生み言選集第十一巻』
    患難のなか忠節の心情を持った真の息子と娘

    神様は終わりの日になれば、人類の前に7年の大患難があるだろうと予告されました。この患難時期は6000年の歴史過程において、天の悲しい曲折が聖徒にぶつかる時です。人間の絆がみな壊れていき、信じられない環境にぶつかる時です。自分がどんなに良心的に正しく生きたとしても、その良心で自らの生涯を主張できない時です。御旨を抱き、考えのあるものであればあるほど、眺めるあちこちに苦痛を感じる時です。そのような時が、終わりの日の7年の大患難の時です。その時は、希望が揺れる時であり、私たちが信じている信仰の中心が揺れる時であり、信じて従った指導者が揺れる時です。主義はもちろん、宗教、良心、父母の心情までもすべて揺れる時です。

    では、神様はなぜそのような世の中をつくっておかなければならないのでしょうか。それは真の神様、歴史的に苦労した神様と同参したという価値を与えるためです。神様は6000年間数多くの惨状を見てきましたし、数多くの曲折を受けられたので、終わりの日においては、主義とか、信仰ということをもって中心を立てることのできない環境にぶつかるようにするのです。そのような患難の中でも「神様を愛する」と言う、そのような難しい場でも「神様と共に生きる」と言い得る真の息子、娘を探すために、そのような時が来るというのです。

    それゆえ皆さんは、教会が揺れるのを見て悲しむことなく、ある主義が動揺するのを見て悲しむことなく、ある主権者が倒れるのを見て悲しむことなく、自らの父母が変わったと悲しむことなく、自らの兄弟が変わり果てたと悲しまないでください。頼り、信じていた世の中の全てが動揺しても、皆さんの心は平然としていなければなりません。神様は動揺せず、この時間も私を訪ねて来られるということを知らなければなりません。神様が私たちに苦痛を与えるのは、神様の貴い一日、神様が経てきた苦痛の因縁を私たちに結んでくださるための、大きな約束であることを知らなければなりません。そのような場で天を抱き締め、「一緒に行きましょう。共に闘いましょう。共に行動しましょう」と叫んで立つ人を探すために、そのような世の中が必要だというのです。

     ですから皆さん、進む道がふさがったと落胆しないでください。この国が乱れると気落ちしないでください。神様は死んではいません。この世界がどんなに乱れても、気落ちしないでください。神様は死んではいません。神様は必ず訪ねてこられます。すべてが動揺しても、天に対する一片丹心だけは動揺させないでください。天を頼って仰ぐ希望の心だけは変わらないでください。その心を変えようとするために、神様が皆さんをいかなる苦痛の場に追い込んだとしても、その場で天の父を叫ぶことができる心を持たなければなりません。いかなる場に落ちても、その場で天の心情の紐をつかんで上がろうと努力しなければなりません。地獄に落ちる苦痛を感じる恨があったとしても、天の父と共に参与する立場に立って天の父の苦痛を私が思いやって、その天の父は私の苦痛を察してくれることを信じて、そのような場でも行くという責任と義務を感じて行くならば、皆さんは滅びないでしょう。

     今日、数多くのキリスト教徒がいますが、そういう信者が果たして何名になるでしょうか。私たちは天の父に侍るのに、天上の宝座に座っていらっしゃる父に侍るのではなく、死亡の波打つ中で真の息子、娘を探すために御苦労される天の父に侍らなければなりません。その天の父を私の天の父と知り、その天の父の事情を私の事情として、その天の父の心情を私の心情として、その天の父の願いを私の願いとして訪ねてこられる天の父の前に雄々しく立って、「あなたの息子を探すことがあなたの願いであることを知って、その息子を探し、あなたの歴史的な曲折を解くことが、あなたの事情であることを知って、失った息子を抱き締めて愛したいのがあなたの心情であることを知りました。どのような塗炭の苦しみと艱難と難しさの中にあったとしても、私があなたの願いの実体であり、事情の実体であり、心情の実体です」と自信をもって立たなければなりません。このような者であってこそ天の父の息子であり、またその天の父に侍ることができる者になるということを皆さんは知らなければなりません。

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