お母さまがお座りになる椅子に関する指摘は「間抜けな指摘」か

サンクチュアリ教会が、お母さまの座る椅子の位置を問題にした件に対してブログ「祝福家庭バリバリ伝説(続)」が6月9日の投稿「お母様が右の椅子に座られておられると言う間抜けな指摘」の中で反論を加えた。

この問題では英語圏の食口の間でも大きな議論を呼び、Facebook上ではアメリカの古参メンバー、ダン・フェファーマン氏を巻き込み、コメント数が1000を優に超える数のやり取りがなされた。中には「真の父母は一体なのだから椅子も一つにすべき」などという極端な意見も飛び交っていた。私もそのようなやり取りを比較的丹念に見て来たが、「バリバリ伝説」さんの反論はなかなか説得力のあるものだった。

(引用)

お母様が、右の椅子(即ち、お父様の席)に座られたのは、実は、初めてではない。ダンベリーの時に、お父様は、ダンベリーに本部を移すと語られた時期があり、それは、荒野路程の最後の段階を迎えるまさしく分水嶺の時であった。その時、お父様は、お母様を前面に立てながら摂理された。

現場責任者は、お母様であり、そのような立場に、立たれたことのなかったお母様は、大変な十字架を負われながら、士気が落ちないように、お父様の席に座られながら、涙を流されながら、激しく御言葉を語られた事があった。おそらく覚えておられる人もいるのではないかと思う。

(引用終わり)

私も動画で見た記憶がある。確か何かの名節の日ではなかったか、お母さまが涙をハンカチでぬぐいながらメンバーに語っておられた。傍らでパク・ポーヒ補佐官が通訳していたのを記憶している。ただし、どちらの席に座っておられたかまでは記憶にない。しかしそんなことはどうでもよいのだ。それ以前にも座る席の位置が逆であったことはあったのだから。(「神の日」70年代ベルべディアでの撮影)

バルコム会長 週刊ビデオメッセージ 1 9 15 on Vimeo

上の写真が左右反転でないことは下の写真を見ればわかる。
(お父様の腕時計の位置、ネクタイの柄)
バルコム会長 週刊ビデオメッセージ 1 9 15 3on Vimeo

お父様のご在世時においては座席の位置は外的、相対的な問題であり何らかの都合で変わったとしても一切問題はなかった。というのもお父様が絶対的主体、お母様が絶対的対象であるという内的・霊的位置は不変不動であったからだ。私たちが問題にしているのは真のお父様の聖和後の約三年。お父様のご聖和後、お母さまが絶対的対象であることをやめ、あえて絶対的主体の位置に立とうとされているのではないかという悲しみを伴う大きな懸念を抱えているということだ。より本質的には天聖経の改変を始めとする一連の問題、そのバックボーンとなる精神的流れの文脈の中でお母さまがあえてお父様の右の席に主体として座っておられるのではないかということを問題視しているのだ。

「祝福家庭バリバリ伝説(続)」のブログ主はこう主張する。

(引用)

それで、最近、お母様が、お父様の席に座られた事が問題になったようであるが、私は、お母様としてもダンベリーの時と同様に、国家と世界の峠を、韓国とラスベガスを通じて越えようとされていたお父様の願いを継承しながら語られているのではないかと考えるのである。

(引用終わり)

見方感じ方は人により異なる。「バリバリ伝説」氏は次の写真から、1984年当時のあのお母さま、ひたすらにお父様に仕えておられた真のお母様と同じ雰囲気、霊的オーラを感じ取ることができるだろうか。読者の皆さんはどうだろうか。

11535672_926489434082712_2705371322362984216_n (1)

ブログランキング・にほんブログ村へ

お母さまがお座りになる椅子に関する指摘は「間抜けな指摘」か」への1件のフィードバック

  1. ハナニムナラ の発言:

    本質をとらえた指摘だと思います。いつの間にか神様の絶対対象ではなく、自分が神様となっているようで心が痛く悲しいです。
    教会のなかで 神様と精霊の恵みを感じられなくなりました

    いいね: 1人

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中