お父様の弟子はイエス様の弟子に勝る者か

2015年5月19日説教「神様の愛の暗号」(韓国語)より抜粋

統一教会の中で「自分はお父様のために死ねます」という声はよく聞きました。しかし最後の瞬間、お父様のために本当に死ななければならない時、侍る者たちがお父様を裏切りました。

その後、一般食口すべてがこのような内容を知ることになっても、悔い改めようともしません。イエス様の弟子たちは、完全ではありませんでしたが、自分たちがイエス様の前に罪を犯したことを知り、悔い改め、命を捧げ死んでいきました。

自分の財と地位、それだけを考える偽善者ではなかったのです。逆さ十字架に掛かって死んでいった使徒。

このような弟子が現れて「お母様は間違った道を行かれています」と敢えて進言する弟子が一人もいなかった事について本当に失望せざるを得ません。

今後、我々の後孫が歴史を見る時、お父様の弟子はイエス様の弟子に比べ全く値打ちが無かった、息子のカインとアベルだけが立ち上がり、お父様から50年、60年と毎日愛を直接受けたこともない一般食口が立ち上がった。このような歴史的評価を受けるのではないか。

そして、愛を十分に受けるだけ受けた弟子たち、最後の瞬間にお父様を裏切った臆病者たちは、これからは最後になります。最後の時は初めのものがが終わりになり、終わりのものが初めになります。そのまま現れます。

このような内容を見る時、神様の恩恵、恩寵、恩赦、愛とは何かを知ることができます。5%の責任分担が何か知ることができます。

もし、この状況でシモン・ペテロが言葉だけで「はい、(イエス様を)愛しています」といって、そのままイエス様を忘れてしまったらどうか。全てを捨て、命を懸けてメシアのために死ぬことがなかったならどうか。その(最後にイエスを裏切った)大きな罪を蕩減することができなかったでしょう。

本来ならばお父様を裏切った指導者や幹部たちは全員死ななければなりません。皆、命を懸け十字架に逆さに掛けられ死ななければならないというのです。ところが今も自分の命を守り、お父様の神聖冒涜を正当化することに熱心な状態です。

最後の日には誰が本物で誰が偽者か全て明らかになります。本当にメシアを信じて生きたのか、それとも恵みを受けるためだけに生きたのか、全て明らかになります。

神様の愛がどれほど恐ろしいものか自覚してください。神様の愛を受けることは怖ろしいのです。「私を本当に愛しているのか」と尋ねられることは怖ろしいのです。それは「私のために死になさい」という意味ですから。

私が王宮で静かに口を閉ざし、お父様の神聖を冒涜し、お父様を削除しようとする作業から目をそらし、背を向け見ないふりをして、自分の給料と財産を蓄えようとしていたとすれば、お父様は完全に削除されていたことでしょう。

300年後に、500年、1000年後に、お父様が願われた伝統と経典、8大経典など全ての内容を削除し編集したものだけを本物だと考えるしかない、地獄の道をいく統一教員だけを生み出していたことでしょう。

私が臆病者であったなら、そちらの方がより楽だったでしょう。人間的に生きていたならば、そうする方が確かに楽だったでしょう。しかし、真の人間は人間的に生きてはいけません。真の人間は神様のために生きなければなりません。いくら苦しくても、皆が殺そうとしても。

神様の愛は怖ろしい愛です。神様が私たちにどのような愛を下さいましたか?
ただ感情的な愛ではありません。私たちのために血を流されるだけの愛ではありません。
私たちのために苦痛の道を歩まれるだけの愛ではありません。私たちのために死する愛です。

私たちのために死ぬ愛。「私を愛しているのか」とお尋ねになる時、「私はお前のために死んだが、お前は私のために死ねるのか」という意味を持っています。

お前は地位や金など、愚かなものに執着して生きるのか、それとも私のために死ぬことができるのか?死ぬのか?死ぬことができるのかではない。死ぬのか?です。言葉では誰でもいえます。

全てを捨て、自分の評判を顧みずに主を求めるのか。主のために全てを捧げるのか、何の得るものがなくとも。

偽者と本物が現れます。最後の日に。

このような愛を私たちは理解できません。私たちは神様の愛を心情だと考えるからです。「私のために死ねるか。私はお前のために死んだが、お前は私のために死ぬか。私を愛しているのか」

私たちがこのような内容を知れば知るほど、主の愛、メシアであるお父様の愛がどれほど深刻か、どれほど恐ろしいか、そしてどれほど美しいかを知ることができます。

テレビやドラマ、また歌の中の愛、そのようなものではありません。「お前のために死んだが、私のために死ぬか?」

これが本当の愛です。

2015년 5월 19일 생츄어리 교회 설교말씀 하나님의 사랑의 암호    YouTube

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お父様の弟子はイエス様の弟子に勝る者か」への1件のフィードバック

  1. sasa の発言:

    お父様の御言葉を研究しなければ今の教会やお母様の御言葉がおかしい事を知ることも出来ません。
     最終的には本人の5%がそれぞれにあるということでしょうか?
    パウロは「主よ、いずこに?」と訊ね霊的なイエス様と共に迫害の激しいローマに向かっていきましたね。
    パウロは、もう二度とイエス様を裏切ったりしないと決意していたのだと思います。
     お父様の聖和の後私もやはり、イエス様の弟子達はイエスの死後どの様に過ごしたのか興味があって聖書を読みました。
    亨進様も命を懸けて御言葉を見出し、お父様に出会われたのでしょう。そう信じています。

    いいね: 1人

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