亨進様の神学―その3

ある韓国食口のサイトに亨進様ヨナ様について一人の食口(二世)がある見解を寄せていました。    『ある韓国2世の感想』 のつづきです。


キリストは神の息子なのだから、永遠の生命をもっていて当然であろう。なぜ、わざわざ一度死んで復活するという手間をかけたのだろうか?

それは永生性(永遠の命)が完全であることを強調するためだと見ることができる。例えば、キリストがギリシャ神話に出てくるポセイドンのような神だと仮定してみよう。すると「私に永遠の生命を与える生命システムを破壊すると永生が不可能になるのではという懸念が生じる。その疑問を解消するには、その「神」を一度殺して見なければならない。それでも生き返るならその時永生性が確かに証明される。このように、イエスは十字架での復活を通じて自分の永生性を証明した。

この2つの前提を合わせると次のような論理的結論が出る。:「キリストは、永遠の命をもつ神の息子、娘である」

三位一体論でキリストは御父に次ぐ第2位「聖子」(Holy Son)の位置を占めているが、これは私達の定義したキリストの意味と一致する。

家庭盟誓で私たちは「聖子の道理を完成する」と誓っているが、このような神観と同じ観点であるとするならば私たちは毎週「キリスト」になることを約束していることになる。平凡な私に到達できる位置なので感覚上、別段、特別でない位置のようだが、このような神学的、哲学的、道徳的観点からは、この世のどんな偉大な存在よりも偉大な位置だ。ある存在が持てる最高至尊のアイデンティティといえる。くれぐれも、神様の息子、娘は神様と同種なので自分もやはり「神」であることを忘れないでいたい。

日曜日、カトリックやプロテスタントの教会に行けば正面に十字架が立てられている。カトリックの十字架には、血を流しながら死んでいくイエスが磔られており(私はいつも恐ろしくなる)一方、プロテスタントの十字架はイエスが復活することにより十字架上にイエスはいないためすっきりしている。

十字架についての好みはそれぞれ異なるが、2つ共にそれぞれ自分達の十字架を日々見ながら「永遠の命をもつ神の息子、娘」を希んでいる。これが彼らの信仰だ。私たちが嫌悪する十字架刑にはこのような偉大な宗教思想が隠れている。

特定の人間を神と同じように規定する「キリスト」の思想は人類の歴史の中で最も進化した最高の宗教思想だ。宇宙の究極は神だから、人間が神の座にまで上がるならばもうそれ以上行くところがない。ところが、キリスト教神学の限界は「ナザレのイエスだけがキリストだ」という解釈にある。ここに新たに登場した文亨進様の統一神学の偉大さがある。亨進様はこう言う。

「文鮮明師もキリストだ」

つづく

2015년 5월 5일 생츄어리교회 설교말씀  주님의 신부    YouTube

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