亨進様の神学―その2

ある韓国食口のサイトに亨進様ヨナ様について一人の食口(二世)が一つの見解を寄せていました。    『ある韓国2世の感想』 のつづきです。


いずれにせよ三位一体神学では、キリストは「王」ではなく「神」だ。いくら神様の偉大な信仰者であるにせよ生まれつき人間であるメシアとはその次元が異なる超越的存在である。単なる神を象徴する偶像的人物や神がかった偉大な人物などではなくまさに「神」であるということだ。普通、三位一体といえば、私たちは”三位”の部分に注目するが、この表現の強調点は後部の「一体」にある。依然として唯一神論だ。だから、イエスと聖霊と神様を他の存在とみなしてはけないということである。三者すべて神であるといっている。

だからここでは「神」も一般名詞として使う。単に、主(ヤハウェYHWH)を指す固有名詞ではなく「究極の絶対神」という意味を持つ一般名詞として、存在の種類を指す単語として用いている。つまり、犬は動物、オ・ジュンハン(筆者)は人であり、ルーシェルは天使、イエスや主は神であるという感じだ。だから、真のお母様が「私は神である」と言われた時「私は世界を創造した主」という意味ではなく「私はその方と同じ種類の神」という意味で言われたのだろう。実際考えてみれば、「すべての人間は、神の息子、娘である」という言葉はキリスト教では一般的だから、「父と娘が同じ種類」と言うのはそれほど大きな語弊を生じることはない。ある呼称が混乱をきたす場合、それらを固有名詞として使うのか一般名詞として使うのかを明確にしておけば混乱を簡単に治めることもできる。

したがって、「真のお父様も、神様であられるのか?」に対する答えも、一般名詞なら「イエス」、固有名詞なら「ノー」である。これが正しい答えであろう。というのも、私の知る限り先輩家庭の証によれば、本体論を聞いていた真のお父様は「私がなぜ神様なんだ!」と怒られたそうだ。もちろん、本体論講師はその時 “神”を一般名詞として使っていたのだろう。亨進様の説教でも、真のお父様と神様は明らかに別の存在として登場するので、この問題のこれ以上の詮索は無用であろう。

とにかく、キリストは神様であるが、「神様ご自身」はない。別の存在ゆえに二人の関係がありうるのだが、三位一体論はそれを父子に設定した。したがって、キリストが持つ第一の意味は「神様に似た神の息子(娘)」である。神の息子は、神様と同じ種類であるためやはり神様だ。

ところが、イエスは自分が神の子であると宣言しただけではなく、「私は神様として永遠の命をもつ存在」ということも証明している。つまり、自分の体が明らかに死んだ状態であることをまず確認させた後、再び復活する奇跡を顕した。これが「十字架復活」の神話だが、イエスがそのようなことを意図としたとは思えないのだが、結果的に永遠の命を証明することになった。

つづく

2015년 5월 5일 생츄어리교회 설교말씀  주님의 신부    YouTube

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